「憤怒の作家」佐藤愛子さん、102歳で逝去 自らに厳しい筆致で人間の真実を追求
作家の佐藤愛子さんが4月29日、老衰のため102歳で亡くなりました。『別冊文芸春秋』で編集長を務めた高橋一清さんが、佐藤さんとの思い出を寄稿しました。
高橋さんが編集長に就任した1990年6月、世田谷区太子堂の佐藤さん宅に挨拶に伺いました。連載小説『血脈』が佳境に入っており、これを編集の柱にするのは必須でした。初対面の佐藤さんは、口を結び、高橋さんを見つめ続けました。人柄を見定めるような感じだったそうです。高橋さんはひるまず、『血脈』で感心した情景描写を挙げました。すると、見る間に佐藤さんの表情が変わりました。
「あなた読んできたの。編集長の新任の挨拶は、顔を見せるだけ。読まないで来て適当なことを言ってすぐに帰るんだけど」と佐藤さんは言いました。
『血脈』は、紅緑、ハチローなど佐藤一族の欲望と情念の深さを描いた大河小説です。原稿は高橋さん自身が受け取りに行き、ゲラ刷りになると校正しました。そして著者校正をいただくため、深夜に佐藤さん宅の新聞受けに入れました。
高橋さんは最初の読者として、毎回率直な感想を手紙に書きました。ところが第3部に入り、作者自身が中心になって物語が展開する回に限って、手紙を書かずに会社を出ていたことに気付きました。タクシーを降り、街灯の下でゲラの余白に感想を書きつけました。
「〈愛子〉――作中人物の筆者自身ですが、ほど良く距離が取れていて、何の不自然さもありません。人物として衝いておくべき欠点は欠点として書き、ことさらな自己卑下もなく、いいところも記してあるのがいいのです……」
他者を批判するだけでなく、自らにも厳しい。佐藤さんの筆の特色はまさにここにありました。相手を叩くが、それ以上の厳しさで自身を打ち、人間の真実を求めた。苦しい仕事だったと高橋さんは振り返ります。
常に「まっとうであること」を求めて
佐藤さんはこのゲラを手元に残し、後に展覧会でも展示されました。単行本『血脈』の後書きには「その感想(実にうまい激励)を力杖に私は行く先わからぬ山路をたどった」とあります。
佐藤さんは当初、『血脈』を他社から出版したいと考えていました。それまでに文芸春秋で出した単行本の売れ行きが芳しくなかったためです。そこで高橋さんは一計を案じました。佐藤さんが雑誌に書いた随想をまとめて『我が老後』と題名を付け、目次を作って見せました。エッセー本をつくる提案は佐藤さんも思いがけないようでしたが、「よろしいでしょう」と言いました。そしてすぐ「いくら刷ってくれるの」と口にしました。「2万部で始め、2カ月のうちに5万部売ってみせます」と高橋さんは気負いました。努力目標でしたが、その通りになりました。この痛快なシリーズ『わが老後』は次々刊行されました。「目にやさしい大きな活字」と帯に書いたのがよかったかもしれません。『血脈』は無事に文芸春秋から出版されました。
80代になった佐藤さんは、娘さんやお孫さんと、3年続けて出雲の神社めぐりをしたことがあります。あるとき島根県東部にある美保神社に参拝しました。帰りの車を待っていると、日だまりにいた高齢の女性たちが「夢のようじゃ。佐藤愛子さんではないですか」と集まってきました。そのうちの一人がいなくなったと思ったら、新聞紙の包みを手に現れ、手作りのアジの干物だと差し出しました。後日佐藤さんから受け取った礼状には「何よりうれしい、おもてなしでした」とありました。
佐藤さんは常に「まっとうであること」を求めていらしたと高橋さんは思います。「憤怒の作家」といわれましたが、それはことさら宣伝のためにつくられた言葉でもありました。自らを客観視し、りんとした姿勢を保ち続けた人でした。



