戦禍の記憶を未来へ ピースあいち館長・宮原大輔氏の平和への情熱
戦禍の記憶を未来へ ピースあいち館長の平和への情熱

戦争の記憶を未来へ繋ぐ ピースあいち館長の半世紀にわたる平和への歩み

来年、開館20周年を迎える戦争と平和の資料館「ピースあいち」(名古屋市名東区)。館長を務める宮原大輔さん(73)は、約100人のボランティアを束ねながら、戦禍の記録を後世に伝える使命に日々取り組んでいる。その活動の原点は、中高生時代に遡る。

ベトナム戦争の写真集が人生を変えた

宮原さんが平和活動と深く関わるきっかけとなったのは、若き日に目にしたベトナム戦争の悲惨な状況を写した写真集だった。衝撃的な映像は、彼の心に強く刻まれ、大学時代には平和サークルに所属。毎年8月には、原子爆弾が投下された広島と長崎を訪れ、犠牲者を追悼する習慣を続けた。

社会人となってからも、その情熱は衰えることはなかった。自営業で生計を立てながら、1986年には弁護士で初代館長の野間美喜子さん(故人)らと協力し、画家・丸木位里、俊夫妻が描いた「原爆の図」の展示会を県美術館で開催。わずか1週間で約2万1000人が来場し、反核への関心の高さを改めて実感したという。

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戦後50年を機に資料館設立へ動き出す

戦後50年を前にした1993年、宮原さんは呼びかけ人の一人となり、「戦争メモリアルセンターの建設を呼びかける会」を設立。自治体による戦争資料館の整備を目指して活動を開始した。愛知県議会や名古屋市議会で請願が採択され、1997年には県と市による検討委員会が発足したものの、2000年代に入ると動きが停滞してしまう。

打開策が見えない中、転機が訪れたのは2005年。野間さんらと2003年に設立したNPO法人「平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」が、目指す資料館の姿をイメージしたモデル展を開催したことがきっかけだった。報道を通じて行き詰まった状況を知った愛西市の女性から、土地と資金の提供申し出があり、悲願だった資料館の開館へと道が開けた。

2007年、ピースあいちが誕生

同準備会が運営を担う形で、戦争と平和の資料館「ピースあいち」が開館したのは2007年5月のこと。パネルや資料を並べた常設展に加え、年4回の企画展を開催し、決して忘れてはならない負の遺産を現代に伝え続けている。

語り継ぎの重要性と新たな挑戦

展示だけでなく、語り継ぎにも力を入れている点が特徴だ。2009年には戦争体験者らで構成する「語り手の会」を、2017年には戦後世代の「語り継ぎ手の会」をそれぞれ設立。同館などで語り聴かせ会を実施してきたが、時間の経過とともに語り手の高齢化が進み、昨年11月には両組織を統合した「戦争体験を語り継ぐ会」を結成し、継承活動の存続に取り組んでいる。

宮原さんは力強く語る。「戦争体験者が口を揃えて言うのは『戦争だけは駄目』ということです。世界中で戦争が起こる中、次の世代に語り継げなかったら、また戦争が起きてしまうかもしれません」。戦後80年が経過した今、彼は自らに言い聞かせるようにこう続ける。「ピースあいちの真価が問われるのはこれからだ」。

宮原大輔館長の半世紀にわたる平和への情熱は、戦禍の記憶を風化させないための確かな礎となっている。来年迎える開館20周年は、新たな世代へとバトンを渡す重要な節目となるだろう。

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