伝統行事が途絶えた11年間、まき続けた技術継承の種 100畳敷き東近江大凧、次世代へ
100畳敷きの東近江大凧(おおだこ)が墜落した死傷事故から11年。江戸時代から続く地域の伝統文化は事故の後、途絶えていた。大凧制作と飛揚技術の継承へ――。東近江大凧保存会の会員たちは、あの日に始まった悔恨と苦悩、葛藤の日々を忘れることなく、5月2日、万全の安全対策を講じて再開の日を迎える。
伝統文化を残していくための技術の保存と継承。今回揚げる大凧の鶏の絵を描いた臼田健人さん(27)=東近江市五個荘川並町=は、その重要性を人一倍感じていた。
金沢美術工芸大大学院の修了制作で、20畳敷きの大凧を1人で手がけた。東近江大凧保存会が公開している方法通り、見よう見まねで制作を進めた。
でも、どんなに丁寧に作っても、骨組みは設計図通りにはいかず、凧にはしわが寄ってしまった。後に大凧保存会が実際に凧を作る様子を見て、「段取りは決まっていても、経験がないと分からないことばかり。今の技術を持つ保存会員が100畳大凧を作らなくなったら、本当に途絶えてしまう」と痛感した。
技術を継承できる人材はいるのか。後継者不足に悩む保存会が、大凧に興味を持ってくれる人を増やすための「種まき」を続けた結果、その種が今、少しずつ芽吹き始めている。
学校などに請われて大凧の作り方を教えに出向くのと並行して、1978年からは市内の新成人を対象に20畳敷きの大凧を制作する取り組みを始めた。
大学3年の深尾大夢(ひろむ)さん(20)=同市五個荘木流町=は、今年の成人式に向けた大凧作りに参加して、初めて東近江大凧に関わった。仲間と制作する過程で大凧の伝統や奥深さを肌で感じ、100畳の大凧揚げにも参加することに。「来年、再来年も関わって、継承の一部になれたらいいなと思います」
2007年からは、市内の児童を対象にした8畳敷きの大凧を制作する。この「チャレンジ大凧」で関わり始めたのが、聖徳中学校2年の今宿志穂さん(13)だ。
7歳上の姉が伝統への興味からチャレンジ大凧に参加した影響で、幼い頃から家族で大凧作りに親しんできた今宿さん。自分たちで作った凧が空に揚がる達成感や作る楽しさに触れ、昨年の100畳敷きの大凧制作にもバドミントン部の練習の合間を縫って毎回通った。
保存会のメンバーや長年携わってきた人たちも、さまざまな思いを抱いて再開の日を迎える。
保存会員の大野裕二さん(59)は40歳の頃、空に舞う東近江大凧を見て、スケールの大きさに魅せられて会に入った。「過程の一つ一つが奥深く、携わってより感動した。揚げることで、自分のように関心を持ってくれる人が増えたら」と願う。
今年の大凧の力強い「祝」の文字には、00年から携わる中島陽子さん=同市八日市清水1=の切なる願いがこもる。「意気揚々と大空に揚がる姿を夢見て、思いを込めて書いたんです」。いとおしそうに大凧を見つめ、再出発の成功を祈った。
東近江大凧の特色
江戸中期、男児の誕生を祝って端午の節句に揚げたのが起源とされる。1993年、「近江八日市の大凧揚げ習俗」として、国選択無形民俗文化財に選ばれた。他に例のない特徴が三つある。
- 風の抵抗を抑えるため絵柄に沿って切り込みを入れる「切り抜き工法」
- 運搬が楽になるよう縦骨が外せる「長巻き工法」
- たこ上部に鳥や魚などの絵柄を、下部に文字を描き、その組み合わせで意味を持たせる「判じもん」
今年は向き合う2体の鶏の間に「昭和百年」、下部に朱色で「祝」と描き、「慶(鶏)祝 昭和百年」の思いを込めた。



