対馬丸の船体に魚雷の穴を確認 政府調査で初めて詳細判明、遺骨は未発見
対馬丸船体に魚雷の穴確認 政府調査で詳細初判明

対馬丸の船体に魚雷攻撃の痕跡を確認 政府調査で初めて詳細が明らかに

内閣府は3月26日、太平洋戦争中の1944年8月に鹿児島県・悪石島沖で米軍によって撃沈された学童疎開船「対馬丸」の水中調査結果を正式に公表しました。この調査により、船体の左舷中央付近に魚雷攻撃を受けたとみられる明確な穴が確認されましたが、犠牲者の遺骨や遺品は発見されませんでした。

無人探査機による詳細な調査の実施

調査は昨年11月から12月にかけて実施され、カメラやロボットアームを搭載した無人探査機が使用されました。内閣府は昨年12月、水深約870メートルの海底で対馬丸の船体を確認したと発表しており、その後、詳細な分析が続けられていました。

その分析結果として、以下のような具体的な発見が報告されています。

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  • 右舷の船首近くに記された「対馬丸」の船名が確認された。
  • 左舷中央付近の外板に、魚雷攻撃によって開いたと推定される穴が見つかった。
  • 煙突をはじめとする上部の構造物の多くが崩落しており、骨組みの一部のみが残存していた。

歴史的な悲劇の詳細が初めて明らかに

内閣府によれば、対馬丸の被害状況の詳細がこれほど明確に判明したのは今回が初めてのことです。調査で撮影された動画は、那覇市にある「対馬丸記念館」および内閣府のホームページで一般公開される予定となっています。

対馬丸は1944年8月21日、長崎県に向けて那覇港を出港しました。しかし、翌22日の夜間に米潜水艦からの魚雷攻撃を受け、沈没に至りました。この悲劇的な事件では、判明している範囲で学童784人を含む合計1484人もの尊い命が失われています。

今回の調査結果は、戦争の惨禍を後世に伝える貴重な資料となるでしょう。政府は、犠牲者の追悼と歴史的事実の継承に努めていく方針を示しています。

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