満腹でござる 倫太郎食日記 第8回 梶よう子
倫太郎は上がり框に腰を下ろし、草鞋の紐をしっかりと結ぶ。時枝が差し出した大刀を腰に差し、清乃から渡された笠を着ける。
「それでは、母上、清乃。行って参ります」
「しっかりご奉公いたすのですよ。はい、お弁当です」
「かたじけのうございます」
倫太郎が弁当を懐に入れると、時枝はさらに風呂敷包みを差し出した。
「賄頭さまと藤左衛門への手土産です」
「恐れ入ります。中身は──」
倫太郎は風呂敷包みを手にして鼻をすんすんさせた。生姜と甘い匂いがする。小柴の海では、穴子やシャコがよく獲れる。
「これは、煮穴子ですね」
シャコの煮物ならば、もっと山椒の香りが利いているはずだ。
「藤左衛門の好物でしてね。賄頭さまのお口に合えばよろしいのですが」
「いやいや、母上の煮穴子は絶品です。瀬戸橋の『東屋』にも引けを取りません」
「お世辞にもほどがありますよ。あのような高名な料理屋と比べるものじゃありません」
「いえ、本当です。私は母の料理でここまで育ったのですから」
時枝が声を詰まらせ、袂で目元を押さえた。
「母上」
清乃までが目を潤ませ、よよと泣き崩れ、母に寄り添った。
倫太郎はその様子を見て、深々と頭を下げると同時に身を翻し、敷居を跨いだ。
今生の別れではあるまいに、と倫太郎は思いつつも、ふたりのため、坂上家のために頑張らねばと思う。
表に出て笠を押し上げる。雲ひとつない快晴だ。母のいう通り、旅日和だ。
さて行くか。倫太郎は歩を進めた。
木戸を潜ろうとしたときだ。
「兄上! 出来ましたら越後屋で反物を」
清乃が背に声を掛けてきた。え? と倫太郎は振り返った。
「倫太郎、母の分もお願いいたしますね」
時枝までが膝立ちして叫んだ。さっきまでの別れの場はどうしたことだ。女所帯を心配したが、このふたりなら大丈夫そうだ。
「しかと承りました」
倫太郎は苦笑しながら応えると、再び歩き出した。



