静岡・草薙球場と言えば、沢村栄治の名を思い起こす。1934年の日米野球で、当時17歳の快速球右腕が8回を投げ、ルー・ゲーリッグに浴びたソロ本塁打のみの1失点に抑えた舞台だ。0-1で敗れたが、本場のスター軍団から9三振を奪い、その名を轟かせた。
球場正面の像
球場正面には現在、沢村と全米チームの中心打者として来日した「野球の神様」ベーブ・ルースの像が、対戦しているような形で飾られている。その「沢村像」に鈴木孝政はブツブツと話しかけたことがある。「坪内さんのこと、知ってるでしょ?」と。
坪内道典の存在
坪内道典はプロ野球黎明期から活躍した外野手で、戦後は中日などでプレーし、監督も務めた。後年は合宿所の寮長をしながらユニホームも着て、ナゴヤ球場で選手に指導していた。「もう、おじいちゃんだったけど、打撃練習の時は外野にいて、フライなんかもキャッチするんだよ」。その「老コーチ」から、ブルペンで投球練習をしていた鈴木は声をかけられた。
「なあタカマサ。みんな『沢村は速い、速い』って言うけど、おまえの方がずっと速い」
その瞬間、鈴木は「沢村」にピンとこなかった。「そうしたら、あの『沢村賞』の沢村だがね。聞いたら坪内さん、一緒にやっていたって言うんだよ。戦争中は、甲子園近くの鳴尾浜、あの辺に昔は軍需工場がいっぱいあって、坪内さんは『そこで沢村なんかと鉄砲の弾をつくっていた』って。思い出話をしてくれたの」
伝説の投手との比較
三重県宇治山田市(現伊勢市)出身の沢村が繰り出す快速球は、先の大戦で戦死した悲劇も相まって、長く語り継がれてきた。そんな伝説の名投手より「おまえの方がずっと速い」と絶賛されたのだ。「沢村栄治、神様だよね」と鈴木は恐縮する一方で、坪内の言葉が忘れられない。
時は過ぎ、すでにユニホームを脱いでいた鈴木は、何かの用事で草薙球場を訪れた。そこで沢村の像の前まで行き、あれこれと話しかけた。2人をつないだ、坪内の思い出を語り合うように。「いい球場だよね。水銀灯を入れたのも、一番早いぐらいじゃなかったかな」。今でも新幹線で静岡駅付近を通過するたび、車窓から照明塔を探す。



