本紙評論家の鈴木孝政さんが現役時代を振り返る「昭和ノート」。球団創設90周年を迎えた中日ドラゴンズの昭和の旅の記憶を、豪腕投手の目線でたどる連載の第1回は、静岡・草薙球場での相性の良さについて語る。
草薙球場との抜群の相性
同じ静岡県内でも浜松球場とは違い、鈴木孝政は草薙球場との相性が抜群だった。登板10試合で5勝0敗3セーブ、防御率2.23は10試合以上登板した球場では最良の数字である。その理由を尋ねると、鈴木さんは「最初が良かったからね」と、2年目の1974年(昭和49年)のオープン戦で「開幕投手」を任された大洋(現DeNA)戦を挙げる。
ご当地の新人、山下大輔を目当てに満員となった球場で、鈴木さんはその「慶応のプリンス」を抑え込んだ。「すごく印象に残っている。この人も見にきていたから」と、当時交際中だった現在の妻・奈知代さんも郷里の千葉から駆けつけていたという。試合前の練習中に『ロミオとジュリエット』の音楽がかかっていたことも覚えている。
運も味方した勝利
「この球場は運がいいんだ」と鈴木さん。例えば、初めて先発した1977年5月24日の広島戦では、何と4被弾。ライトル、衣笠祥雄、三村敏之、水沼四郎にそれぞれソロアーチを浴びながらも勝ち星を手にした。特に三村敏之にはよく打たれたといい、「悪いけどクリーンアップを打つような人じゃないでしょ。でもホームランも打たれるの。だから本人に『なんで俺から、よく打つんですか?』って聞きに行ったことがあるの。そしたら『なぜだか知らないけど、よく合うんだよな、タイミングが』って。それで終わり」と、カープ野球を象徴する名選手との思い出を語る。
リリーフ陣の窮地を救った好投
もう1試合は1984年7月1日の大洋戦。デーゲームで、リリーフ陣が故障などで苦しい状況だった。投手コーチの中山俊丈から「どんなに悪くても七回までは投げさせるから。そうじゃないと困っちゃう」と言われ、鈴木さんは気持ちが楽になったという。その言葉通り、肩の力が程よく抜けた鈴木さんは、8回を111球で投げ抜き、無失点で8勝目をマーク。この時点で前年の7勝を超え、シーズン終了時には16勝まで伸ばし、肘痛を乗り越えてカムバック賞を獲得した。
鈴木孝政さんにとって、草薙球場はまさに「運がいい」球場だったと言えるだろう。



