野球引退後、月収16万円の介護職から社長へ「僕でいいんですか」
野球引退後、月収16万円の介護職から社長へ

連載「目指せ!ブルーカラーミリオネア」第4回。社会人野球選手から介護ヘルパーへ。手取り月収16万円の現場仕事から再出発し、社長にまで上り詰めた人物がいる。SOMPOケアフーズ社長の福田崇彦さん(48)の前半生は「野球」とともにあった。

野球一筋の青春時代

5歳で野球を始め、ピッチャーとして高校時代にはドラフト候補に名を連ねた。大学からの誘いを断り、社会人野球の名門である富士重工(現SUBARU)に入団。午前中はコピーやデータ入力などの仕事をこなし、午後から夜まで練習。野球漬けの生活が8年ほど続いた。

度重なる手術と転機

しかし、体は悲鳴を上げ、ひじに2回、足に2回、計4回の手術を経験。入院を繰り返す中で、懸命にリハビリをする高齢者の姿が目に留まるようになった。野球選手引退後は理学療法士を目指したが、資格取得に約500万円かかると知り断念。代わりに高齢者の役に立つ仕事を模索し、ガス会社の下請け企業で働きながらヘルパー2級の資格を取得した。

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月収16万円からの再出発

2005年、介護サービスを担う小さな会社に就職。月収は手取り16万円で、社会人野球時代の半分以下に激減。「これでは家族を食べさせられない」と焦った福田さんは、その後どのようにスピード出世を遂げたのか。人手不足の介護業界で、野球の経験がどのように生かされたのか。

介護福祉士の資格も取得しようと奮闘する中で、福田さんは現場での地道な努力とリーダーシップを発揮。徐々に責任あるポジションを任されるようになり、最終的にはSOMPOケアフーズの社長に就任した。その道のりには、野球で培ったチームワークや忍耐力が大きく貢献している。

ブルーカラーからミリオネアへ

福田さんの成功は、ブルーカラー職種でも努力次第で高収入を得られる可能性を示している。介護業界は深刻な人手不足に悩む一方で、やりがいやキャリアアップのチャンスも豊富だ。福田さんは「野球で学んだことは、介護現場でも生きている」と語り、後進の育成にも力を入れている。

この連載では、他にも大手銀行からタクシー運転手に転身して年収1千万円超を達成した例や、年収1千万円のとび職など、ブルーカラー職種で成功する人々を紹介。AI時代における仕事の本質や、ホワイトカラーの未来についても考察している。

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