日立空襲から81年、戦災遺跡巡る企画に市民12人参加
日立空襲81年、戦災遺跡巡る企画に市民12人参加

太平洋戦争末期に多くの犠牲者を出した日立空襲から81年を迎えた10日、日立市内の戦災遺跡を歩いて巡る企画が行われた。同市の生涯学習組織「ひたち生き生き百年塾」が毎年開催しており、今回は市民ら12人が参加。空襲を体験した同市相賀町の皆川直司さん(90)らが案内役を務めた。

軍需工場地帯を襲った3回の攻撃

軍需工場地帯だった日立市には1945年6月10日、100機を超える米軍爆撃機「B29」が1トン爆弾を次々と落とし、日立製作所海岸工場の敷地内の防空壕が崩壊して従業員らが命を落とした。7月17日に艦砲射撃、同19日にも焼夷弾攻撃を受け、計3回の攻撃で1500人以上が犠牲となった。

体験者が語る「地獄絵図」

「あの体験は永久に忘れない」。工場近くに住んでいた皆川さんは当時9歳。空襲時に自宅の庭先にある防空壕に逃げ込んで難を逃れた。焼夷弾攻撃の時に避難した海岸の防空壕の前で、火の海と化した様子を「地獄絵図だった」と振り返り、参加者は皆川さんの話に耳を傾けた。

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戦災資料館で遺書などを見学

一行は、同社日立事業所内の防空壕があった「小平台」に設けられた主に従業員向けの戦災資料館も訪問。「煙草ガ吸イタイ」「モウ長イ事ハナイラシイ」と、閉じ込められた壕の中で従業員が書いた遺書などの展示品を見学した。

参加者の声

かつて同社に勤務した鈴木向一さん(77)は今回初参加した。母親は艦砲射撃の際、別の壕にいて入り口が塞がれ、人力で土を掘って無事救助されたという。「母が生きていなければ、私は生まれていない。改めて地元を見つめ直す機会になった」と語った。児童生徒が平日に学外での体験活動を通して学ぶ「ラーケーション」制度を活用して母親と参加した小学5年の男児(10)は「防空壕を見て空襲の経験者の話を聞き、すごく勉強になった」と話した。

体験者の思い

皆川さんは「足の不調はあるが、今後も案内を続けたい」と述べた。この日は日立製作所の幹部らが市内の霊園を訪れて犠牲となった社員を追悼。日立事業所では空襲があった時刻に合わせて社員が黙とうをささげた。

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