深夜のホテルで血まみれの客が現れる
深夜のホテルで、フロント係の金ボタンが電話をかけようとした瞬間、玄関ホールの空気が揺らぐ気配を感じた。顔を上げると、仰天する光景が広がっていた。はだけたガウンにスリッパ姿の男性客がシャンデリアの下に立っており、その両手は真っ赤に濡れ、血が白いガウンを染め大理石の床に点々と散っていた。
冷静なフロント係の対応
金ボタンはまず自分を落ち着かせるため、腹から低い声を出した。「お怪我をされましたか?どちらの手でしょう?」と尋ねながら、布ナプキンを手にフロントカウンターを出た。何があったかを訊くのは後回しにし、応急処置を優先した。
男性客が「左手かな……」と呟くと、左手首に幾つかの裂傷が見て取れた。動かすと血が溢れ出すため、金ボタンは「失礼します」と告げて左手首に布ナプキンをきつく巻きつけ、右手で押さえさせた。「血が止まるまで押さえていてください。手は頭の上にお願いします」と指示し、傍らの一人掛けソファに座らせた。「すぐ医師を呼びます」と伝えると、男性客は「必要ない」と答えた。
客の正体と不審な言動
金ボタンはようやく、この男性が「猫背」と従業員たちに呼ばれている客人だと気付いた。猫背は言った。「君の対処は正しい。私は救急箱を借りにきたんだ。血が止まったら自分で処置できる。私は医師だ」と説明し、さらに続けた。「ワイングラスを割ってしまってね。欠片で切ったんだ。それだけだ。清潔な包帯はあるかい?縫うほどの傷じゃない。だから、どうか騒ぎにしないで欲しい。本当に、ちょっと手が滑っただけなんだ」
しかし、猫背は手をあげたままぶつぶつと喋り、眼は床にそそがれたまま小刻みに揺れていた。様子がおかしいと感じた金ボタンが、他の従業員を呼びに行こうとすると、「どこにいく!」と猫背が悲痛な声をあげた。この深夜の出来事は、単なる事故以上の何かを暗示しているようだった。



