東日本大震災翌日に殺害された薬剤師の父、娘の生きた証しを講演で訴え続ける
震災翌日に殺害された女性の父、被害者支援を講演で訴え

震災翌日の悲劇、薬剤師の女性がボランティア計画中に殺害される

2011年3月12日、東日本大震災の発生からわずか1日後のことです。京都市の薬局に勤務していた36歳の薬剤師、清家千鶴さんは、被災地へ薬を届けるボランティア活動に向かおうとしていました。しかし、その矢先、職場で部下の男性(当時30歳)に刺殺されるという痛ましい事件が発生しました。男性は緊急逮捕され、「世の中が嫌になって誰かを殺そうと思った。恨みがあったわけではない」と供述したと伝えられています。

父親の清家政明さん、変わり果てた娘の姿に直面

事件の翌日、徳島市に住む清家政明さん(77歳)は親族を通じて京都府警川端署から連絡を受け、駆けつけました。そこで告げられたのは、娘の千鶴さんが殺害され、犯人が逮捕されたという衝撃的な事実でした。清家さんは遺体と対面しましたが、変わり果てた姿に現実を受け止められず、涙も出なかったといいます。

千鶴さんは「薬を作って人の役に立ちたい」という夢を持ち、京都薬科大学に進学。卒業後は薬剤師として働き、同僚と結婚していました。震災では東北に夫の友人がいたことから心を痛め、夫婦で薬を集めてボランティアに行く計画を立てていたのです。その優しさと行動力が、突然の暴力によって奪われてしまいました。

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無期懲役の判決と父親のむなしさ

犯人は2012年3月、京都地裁で無期懲役の判決を受けました。清家さんは極刑を望み、法廷で公判を見届けましたが、「千鶴の命は被告より軽いのか」というむなしさが募りました。事件後、家族はショックで体調を崩し、回復まで数年を要したといいます。

講演活動を通じて娘の生きた証しを残す

転機は2012年6月に訪れました。徳島県警から依頼され、警察学校で講演を行ったのです。清家さんは「自分の経験が誰かの参考になるのなら」と深く考えずに引き受けました。その後、各地の警察署や裁判所、刑務所などから講演の依頼が相次ぎ、その数は60回を超えています。

被害者支援の大切さを冷静に訴え

講演では、千鶴さんとの思い出や、亡くなる直前のメールのやり取り、事件後の苦しみなどを伝えています。清家さんは悲しみや怒り、悔いなどがないまぜになった感情を少しずつ整理し、講演中に涙を見せることはなく、落ち着いた様子で語りかけます。これにより、聴衆に被害者支援の重要性が強く印象づけられるのです。

例えば、3年前に川端署で副署長として講演を聴いた仲川直美さん(60歳)は、「被害者への支援を広げようとする使命感が伝わってきた」と振り返ります。現在、鉄道警察隊長を務める仲川さんは、痴漢や盗撮が起きた際、被害者の立場で考えるよう部下に指導しているといいます。

一度も断らなかった講演依頼

清家さんは、千鶴さんが高校まで使っていた勉強部屋をそのままにし、遺骨も自宅に置いています。家族とは事件の話を避けていますが、講演の度につらい経験を思い起こさなければならないにもかかわらず、一度も依頼を断ったことはありません。いつの頃からか、講演を通じて事件を知ってもらえることが「千鶴が生きた証し」と考えるようになったからです。

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震災忌ごとに揺らぐ心、それでも続ける決意

毎年、東日本大震災のニュースが報じられると、清家さんは事件当時を思い出し、「整理した」はずの心が揺らぐといいます。それでも、体力の続く限り、講演を続けていく気持ちは変わりません。「娘が私に語り続ける思いを生み出してくれている」と語る清家さん。その活動は、単なる悲劇の記憶ではなく、被害者支援の輪を広げるための貴重なメッセージとして、多くの人々に受け継がれています。