滋賀県大津市で保護司の新庄博志さん(当時60)が、担当していた保護観察対象者に自宅で殺害された事件が発覚してから、2026年5月26日で2年が経過した。この事件では、殺人罪などに問われた飯塚紘平被告(37)に対し、大津地裁が今年3月に無期懲役の判決を言い渡している。東京都足立区に住む保護司の竹中ゆきはるさん(55)は、全5回の公判に足を運んだ。竹中さん自身もかつて非行に走った経験があり、その時に保護司に救われたという。今回の事件をきっかけに、保護司の役割の必要性を改めて見つめ直している。
事件の概要とその後の動き
2024年5月26日、自宅で血を流して倒れている保護司の新庄博志さんを親族が発見。面接中にナイフなどで刺殺されたとして、新庄さんから更生支援を受けていた飯塚紘平被告が殺人容疑などで逮捕、起訴された。大津地裁は今年3月、飯塚被告の完全責任能力を認め、無期懲役の判決を言い渡した。事件後、安全対策を盛り込んだ改正保護司法が成立。安全環境の整備が国の責務と定められ、保護観察対象者との面接では自宅以外の場所の確保などの対策が取り入れられた。
竹中さんの過去と保護司への道
「今があるのは保護司先生のおかげ」と語る竹中さんは、埼玉県内で保護司として活動している。担当した当事者や家族に迷惑をかけないよう、この仮名で活動している。中学生の頃、親の借金が原因で高校進学を断念せざるを得なくなり、次第に非行の道へ。暴走族に入り、傷害や窃盗事件を起こした。14歳で保護観察処分となり、出会ったのが当時40代だった女性保護司だった。
女性宅での面接ではお茶と菓子を運んでくれた。イライラした感情や不満を打ち明けると、女性は「私を怒鳴りなさい」と向き合ってくれた。いつも味方になってくれた女性は、今でも憧れの存在だ。少年院で身に付けた電気工事の技術を基に2000年に独立。2005年に元受刑者らを雇用し、社会復帰を支援する「協力雇用主」になり、2009年に保護司になった。約20年にわたって、約60人の更生支援に関わってきた竹中さんにとって、2年前の事件は衝撃的だった。「(新庄さんは)なぜ殺されなければならなかったのか」。その答えを求めて、今年2月の初公判から車で大津まで通った。
法廷での模様と竹中さんの思い
法廷で見た被告の目はうつろで、ほとんど表情を変えず、感情を読み取ることはできなかった。新庄さんをあやめたことに被告の感情が揺れる場面がないかと食い入るように裁判を傍聴したが、そのような場面は訪れなかった。判決を受け、被告は控訴している。
公判では、仕事が続かず不満を抱えていた被告が、保護司制度に打撃を与えることで政府に報復しようとしたという動機が明らかになった。「他責的で、保護司は関係ない。やり返されないと分かってやったんだ」と竹中さんは思った。背後からナイフで切りつけられた新庄さんの姿に「(被告に)背中を向けるということは、よっぽど信頼を寄せていたんだろう」と涙があふれた。
判決から2カ月以上がたった今も、新庄さんの家族を思うと「気持ちの折り合いがつかない」。安全面のリスクが浮き彫りとなったこの事件を受け、保護司を辞めた人もいる。「必要とする人にとって保護司は希望。被告はその希望を奪った」と竹中さんは語る。
竹中さんの決意
さまざまな思いが湧き上がる中、竹中さんが見つめ直したのは「保護司は罪を犯した人の伴走者」であるという信念だ。「頑張ってもどうにもならない人たちが全国にいる。でも、たった一人の味方がいれば(非行ではない道を)続けられる」。かつて自分が寄り添ってもらったように、保護司の役割を全うしていこうと決意を新たにしている。



