「刑罰というのはどこかで思想を強制するもの。『日の丸を大切に思う感情』は本当に保護するに値するのか、厳密に考えないといけない」。刑法学者の松宮孝明・立命館大特任教授はそう語る。自民党が今国会で、自分が持っている日の丸でも公然と傷つければ犯罪とする立法を実現させようとしている。その目的は「国旗を大切に思う一般的な国民の感情」を守るためだという。しかし松宮教授は「あまりに軽い議論で刑罰が作られようとしている」と警鐘を鳴らす。
外国国章損壊罪の歴史と矛盾論の誤り
自民党と日本維新の会の連立合意書では、外国国章損壊罪があるのに日本国国旗損壊の罪がない「矛盾を是正する」と説明されている。松宮教授は、矛盾かどうかを考えるには外国国章損壊罪の歴史を理解する必要があると指摘する。
現在の刑法ができたのは1907年。旧刑法の時代にはこの罪は存在しなかったが、「困る」という理由で立法に至った。象徴的な出来事が1891年の「大津事件」だ。来日中のロシア皇太子が警備中の巡査に切りつけられた事件で、明治政府は外交関係悪化を懸念し死刑を要求したが、当時の刑法では殺人未遂は刑を減軽しなければならず、それは実現しなかった。結果的に無期懲役で収まったが、政府は冷や汗をかき、旧刑法の改正に乗り出した。未遂の場合に刑を「減軽できる」と裁量にするとともに、「国交に関する罪」の章を新設。外国の元首や使節に対する暴行傷害の罪とともに、外国国章損壊罪を設けた。要は「外国にちょっかいを出して問題を起こすな」という趣旨だ。
外国国章損壊罪の実際の適用
外国旗を傷つける行為が当時あったのかという問いに、松宮教授は「ほとんど聞かない」と答える。判例で確認できるのは、最高裁が1965年に有罪判断を確定させた事件ぐらいだ。これは台湾の独立派が当時の中華民国の領事館に掲げられた旗を「台湾」と書いた看板で隠したケース。最高裁は詳しい判断理由を示していないが、大阪高裁判決は、外国国章損壊の罪は「わが国と外国との間における円滑な国交」を守るためのものだと明確に述べている。
こうした特別な事情でできた刑罰だからこそ、日本国国旗損壊罪がないのを「矛盾」と言うのはおかしい。日本国国旗は国交と関係がない。矛盾だと言うなら、ほとんど必要のない外国国章損壊罪をなくせばいいのかもしれない、と松宮教授は指摘する。
諸外国の状況と表現の自由
G7諸国だけ見ても、アメリカやドイツ、フランスなどに自国国旗損壊の罪は存在する。しかしアメリカでは、政府批判などの表現を制限するような使い方については違憲とする司法判断が出ている。他の国でも表現の自由を尊重した運用がなされている。罪の有無だけで比較すべきではない、と松宮教授は強調する。
日本では、他人が持っている日の丸を傷つけた場合、外国国章損壊罪よりも重い器物損壊の罪で対処できる。自分の日の丸の扱いにまで介入するのは、「外形で判断するから内心の自由に反しない」と言っても、表現という内心の表れを処罰する以上、内心の自由を侵すことは明らかだ。「よその国にもあるから」という理由で導入していいのか、というのが松宮教授の問題提起だ。
日の丸の特殊性と歴史的視点
松宮教授は、考えるべきは日の丸の特殊性だと言う。日本には侵略戦争をした過去がある。日の丸がどのように使われてきたか、その歴史を無視して「国旗を大切に思う感情」を刑罰で保護することは、過去の過ちを繰り返す危険性をはらんでいる。感情を保護するという名目で刑罰を創設することは、思想の強制につながりかねない。国会での議論はあまりに軽すぎる、と松宮教授は警告する。
この記事は有料記事です。残り2297文字。有料会員になると続きをお読みいただけます。



