タワマンに移転した創業80年の駄菓子問屋 84歳店主が語る日暮里の変遷
タワマンに移転した創業80年の駄菓子問屋 84歳店主の語る変遷

JR日暮里駅(東京都荒川区)の正面にそびえる40階建てのタワーマンション。エスカレーターで2階に上がると、色とりどりの駄菓子や玩具が目に飛び込んでくる。「いらっしゃい、いらっしゃい」。店主の大屋律子さん(84)が、よく通る声で呼び込んでいる。

日本有数の駄菓子問屋街の面影

店に入ると、天井まで駄菓子がぎっしりと詰まっている。サクマドロップス、きなこ棒、ココアシガレット――。懐かしい品々が並ぶ。目で追っていると、律子さんから声がかかる。「これ食べてみな」「あんこ玉、おいしいよ」。

ここ「大屋商店」は、今年で創業80年を迎える駄菓子問屋だ。かつて日暮里は日本有数の駄菓子問屋街として知られていた。戦後、駅前に流れる川沿いには、木造長屋の問屋が100軒以上も軒を連ね、都内や近隣県から多くの駄菓子屋が仕入れに訪れたという。

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再開発で姿を変えた街

しかし、コンビニエンスストアの普及や少子化の影響で駄菓子屋そのものが減少し、問屋街も次第に衰退していった。2000年代に入ると再開発の波が押し寄せ、駅前の長屋は高層ビルへと姿を変えた。「さみしいねえ」。律子さんは、すっかりきれいになった駅前を見つめながら、そう語る。

再開発の話が持ち上がった時、律子さんは60代だった。「まだ10年はできるね」と、2009年に現在のタワーマンションへ移転。10年前に夫が亡くなってからは、長男の妻である由紀子さん(59)といとこの水野雅美さん(68)の3人で店を切り盛りしている。最近ではインスタグラムでの情報発信にも力を入れている。

変わる客層と新たな需要

現在はほとんどが個人客となり、袋詰めや詰め合わせ、ばら売りを始めた。平日の正午を過ぎると、会社員の姿が目立つ。昼休みを利用して、自分のおやつや来客用の買い出しに訪れるという。

近くでホテルを経営する男性(52)は、週に1度のペースで通う常連客だ。「おばちゃんが声をかけてくれて、明るくてパワーをもらえる」。この日は宿泊客へのサービス用にアメや「うまい棒」を4000円分ほど購入した。

ときにはキャリーバッグを引いた外国人観光客も訪れる。2010年に開業した京成電鉄の「成田スカイアクセス」が日暮里駅と成田空港を最速36分で結び、物珍しさから立ち寄る外国人が増えたという。

子どもたちの笑顔が生きがい

休日に再度訪ねると、店内は子どもたちでにぎわっていた。「甘い物が大好き」という穆梓晴ちゃん(3)は、父親に連れられて大好きなロリポップとサッカーボールチョコを買ってもらい、笑顔を見せた。

問屋ならではのまとめ買いを目的に来る人もいる。東京都北区の神山裕子さん(51)は「安いし、種類がいっぱいある」と話し、高校生の娘の部活への差し入れとしてチロルチョコやおにぎりせんべいを購入した。

「昔、子どもたちは駄菓子屋で計算を覚えたもんだ」と律子さん。それほど駄菓子屋は生活に身近な存在だった。今や日暮里で残る駄菓子問屋は大屋商店だけとなった。

「死ぬまで頑張りますよ」

「ご先祖さまが見守ってくれているから。死ぬまで頑張りますよ」。律子さんにとって、客と世間話に花を咲かせることが何よりの生きがいだ。腰が曲がっても店頭に立つ律子さんを見つめながら、経営を任されている由紀子さんがこう続けた。「私も頑張らないとね」。

時代とともに街や店が変わっても、律子さんたちは変わらぬ笑顔で客を迎えている。

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