選択的夫婦別姓の本質論が置き去りに 通称使用法制化で「不便」に矮小化される議論
夫婦別姓の本質論が置き去り 通称使用で「不便」に矮小化

夫婦別姓議論の本質が「不便解消」に矮小化される現状

高市早苗首相の政権下において、旧姓の通称使用を法制化する動きが具体的に進展しています。この動きは、長年にわたって議論されてきた選択的夫婦別姓制度の実現に向けた課題を、どのように変容させているのでしょうか。かつて民主党政権で法務大臣を務め、選択的夫婦別姓の実現を目指した千葉景子氏に、現在の状況について詳しく話を聞きました。

「通称使用でこと足りる」という反対論の台頭

千葉氏は、自身が議員となった1986年頃には、「旧姓の通称使用で十分である」という主張はほとんど見られなかったと振り返ります。当時はむしろ、「全員が別姓を強制される制度だ」という誤解が社会に広がっており、その誤解を解くことが重要な課題でした。「選択的」という言葉を強調し、あくまで「選べる制度」であることを説明する必要があったのです。

しかし、選択的夫婦別姓の概念が徐々に理解されるようになるにつれて、状況は変化しました。「通称使用で不便は解消できる」という主張が、夫婦別姓に反対する側の主要な論点として定着していったのです。千葉氏は、この流れについて次のように分析しています。

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「夫婦別姓を求める運動の中には、確かに『不便だ』という実用的な訴えも含まれていました。しかし、運動の根底には常に、個人の尊厳と人権の問題があったのです。残念ながら、人権論は共感を得にくい側面があります。そのため、現実的な『不便』の解消が前面に出ることになり、それに対抗する形で『通称使用で不便は解決する』という反論が生まれたのです。」

「不便」対「不便解消」の枠組みが覆い隠す本質

千葉氏は、現在の議論が「不便だから夫婦別姓を」対「通称使用で不便を解消」という枠組みに収斂していることに強い懸念を示します。この構図は、問題の本質から目を逸らさせる危険性をはらんでいるのです。

「確かに、旧姓が使えないことによる不便は存在します。しかし、その不便の解消だけが議論の焦点となることで、選択的夫婦別姓が本来扱うべき核心的な課題が置き去りにされているのです。」

その核心とは、結婚が「個人と個人の結びつき」であるという理念に基づき、氏名を通じて自己のアイデンティティを保持する権利を認めるかどうかという問題です。千葉氏は、この点について理屈で説得することが難しい反対派が存在する現実も指摘しています。

法制化の動きがもたらす議論のすり替え

高市政権による通称使用の法制化推進は、一見すると現実的な不便を解消する前向きな施策に見えます。しかし、千葉氏の視点から見れば、これは選択的夫婦別姓制度そのものを先送りし、あるいは阻止するための政治的ツールとして機能する可能性があります。

「通称使用の拡大によって表面的な不便が緩和されれば、『もう別姓制度は必要ない』という主張が強まる恐れがあります。これは、人権に基づく本質的な議論を封じ込め、問題を技術的な不便解消に矮小化することにつながりかねません。」

千葉氏は、1980年代から続く選択的夫婦別姓をめぐる議論が、今まさに重大な分岐点に立っていると強調します。通称使用の法制化が進む中で、改めて「結婚とは何か」「個人の権利とは何か」という根源的な問いに向き合うことが、社会全体に求められているのです。

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