コロナ禍の特例貸付が生む「働き控え」の現実
新型コロナウイルス禍で生活に困窮した世帯を支援するため、政府が導入した「生活福祉資金の特例貸付制度」。最大200万円を無利子・保証人不要で貸し付けるこの制度は、一定の収入を超えなければ返済が免除される仕組みだ。しかし、この所得制限が逆に「働き控え」を生み出し、貧困からの脱出を阻む深刻なジレンマを引き起こしている。
「しまった。働きすぎてしまった」シングルマザーの苦悩
東京都内に住む58歳の女性は、2024年夏に届いた通知に頭を抱えた。コロナ禍で利用した貸付金60万円の返済を求める内容だった。「しまった。働きすぎてしまった」と彼女は振り返る。
女性は中高生の子ども2人と地方から上京し、2020年3月からフリーランスとして働き始めた。しかし、コロナの流行が始まると契約は打ち切られ、生活は一気に困窮。2020年夏に緊急小口資金20万円を借り、その後も総合支援資金60万円を利用した。「緊急事態だったので必死で、返済を考える余裕がなかった」と当時を語る。
制度では、前年度に住民税非課税となった世帯などは返済が免除される。女性が最初に借りた20万円は免除されたが、その後借りた60万円は返済が必要な所得を超えてしまった。「多すぎたのは1万円ほど。時給が高いパートで残業も多かったのが原因です」と説明する。
収入を半減させた「働き控え」の選択
返済通知が届いた当時、女性は体調を崩して入院するなど、返済できる状況ではなかった。厚生労働省によると、生活に困っている人には返済猶予の制度があるが、女性の場合、1年の猶予期間が終わると再び通知が届いた。
社会福祉協議会(社協)を訪れると、「とにかく収入を落として」と助言を受けた。そこで事務職の会社に勤務時間の短縮を依頼し、月収を20万円から半減させた。正規職への切り替えも提案されたが断らざるを得なかった。
所得制限が影響するのは貸付金の返済だけではない。大学生の子どもの奨学金や、現在入居している公営住宅の資格を維持するためにも、収入を一定以下に抑えなければならない。「いつまでこんな働き方をしたらいいのか、返済が免除されるかもわからない」と女性は声を落とす。
物価高の中での生活苦と精神的な負担
物価高の影響で生活はますます苦しくなっている。エアコンは極力使わず、衣類も長く買っていない。眠れない日が増え、最近は心療内科に通い始めたという。「時給も上がりそうだが、断りたいくらい。働くことで生活が苦しくなる状況が、変わってほしい」と切実な願いを語る。
職場では人手不足の中、同僚が早い帰宅を悪く思っていないかと心配する日々。本来ならもっと働きたいという意欲があるにもかかわらず、制度の制約がそれを阻んでいる。
「貧困から抜け出す制度になっていない」専門家の指摘
認定NPO法人「キッズドア」(東京)が昨年実施したアンケートでは、支援する母子世帯など2033件の回答のうち46%が、公的支援の所得制限を理由に就労時間を少なくしたり、より高い賃金の仕事に就くのをためらったりしていた。
渡辺由美子理事長は、各種給付で設けられている所得制限について「限度額が低く貧困から抜け出す制度になっていない」と指摘する。「制限の下で働いて支援を受けても、制限を超えて支援がなくなっても貧困になる状況で、母親らは二択を迫られている」と現状を分析する。
制度設計の根本的な課題
特例貸付は、住民税非課税世帯(ひとり親ならば年間所得135万円以下)などであれば返済が免除される。しかし子育て世帯の場合、資産が少ない一方で食費や教育費の負担が大きく、一定の収入がなければ生活そのものを維持することが難しい現実がある。
社協に相談すれば返済猶予や免除の可能性もあるが、周知不足のためか、苦しい中で返済を続けている人も少なくない。渡辺理事長は「各種所得制限を大幅に上げ、働き控えを無くせば、経済全体にもいい影響がある。制度から抜けたときには、貧困からも脱することができる制度設計にすべきだ」と提言する。
求められる制度の見直しと支援の拡充
コロナ禍の特例貸付制度は、緊急時の生活支援として重要な役割を果たしてきた。2024年末時点での貸付額は1兆4431億円に上り、そのうち41%にあたる6055億円が返済免除となっている。
しかし、制度利用者が貧困の連鎖から抜け出せない現状は、支援策の根本的な見直しを迫っている。単なる資金貸付だけでなく、就労支援やキャリア形成、メンタルヘルスケアなど、多角的なサポート体制の構築が急務となっている。
特にシングルマザーなどひとり親世帯にとって、働く意欲と生活保障のバランスをどう取るかは深刻な課題だ。制度の細かな条件が、かえって自立への道を阻んでいる現実を直視し、より柔軟で現実的な支援策への転換が求められている。



