愛知の女性が尽力、憲法24条起草者ベアテさんの資料を国内へ
愛知の女性が尽力、憲法24条起草者ベアテさんの資料を国内へ

日本国憲法が施行されてから79年が経過しました。その中でも第24条は、男女同権を明確に定めた画期的な条文です。この条文を起草したのは、当時22歳の若さで連合国軍総司令部(GHQ)の職員であった米国人女性、故ベアテ・シロタ・ゴードンさんでした。彼女が起草時に残した資料は現在、埼玉県の独立行政法人「男女共同参画機構」に所蔵されています。しかし、これらの資料が元々米国にあったものを国内に移すきっかけを作ったのは、愛知県の女性だったのです。

ベアテ・シロタ・ゴードンと憲法24条

日本国憲法第24条は、婚姻が両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本としています。また、配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚などに関する法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないと定めています。

ベアテさんは、日本語が堪能でありながら漢字が苦手だったため、草案の要綱をローマ字でタイプした文書を残しました。その文書には「ryosei no honshitsuteki byodo(両性の本質的平等)」と記されています。男女共同参画機構の専門職員、森未知さん(57)は、「彼女がいなければ、24条を持たない日本もあり得た。草案を作った方の資料が国内にあるのは素晴らしいこと」と語ります。

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愛知の女性が果たした役割

資料は元々、ベアテさんの母校である米国カリフォルニア州のミルズ・カレッジにありました。日本への移送を思い立ったのは、ベアテさんと親交のあった愛知県江南市の高田朝子さん(77)です。10年前、資料を見るために母校を訪れた際、目立つ形で展示されていない状態を見て、「米国でくすぶったままになってしまう」と感じたと言います。

高田さんがベアテさんと出会ったのは29年前のこと。愛知県で催された講演会で、73歳のベアテさんが流ちょうな日本語で語った「女性が幸せにならなければ、平和にはなりません」という言葉に感銘を受けました。高田さんはその後、自らベアテさんの講演を企画し、やがて米国ニューヨーク州の自宅に招かれるほど交流を深めました。ベアテさんの母校訪問は、彼女が亡くなった後でした。帰国後、高田さんは男女共同参画機構に資料の所蔵を打診し、機構がカレッジと交渉して譲り受けました。2019年に一般公開された際には、全国から多くの人が訪れました。

ベアテさんの功績と現代への影響

ベアテさんは戦前の日本で幼少期を過ごし、女性の地位の低さを実感していました。彼女が作成した草案には、妊婦の保護や非嫡出子の差別禁止など詳細な内容が盛り込まれていましたが、GHQの上官から一度は却下されました。しかし、ベアテさんの強い意向により、男女同権の理念は守り抜かれました。

育児をしながら塾を経営してきた高田さんも、「女は家族の世話をして当然」という分業意識にさらされた経験があり、「24条の価値が身に染みた」と振り返ります。高田さんは1998年にベアテさんの功績を広める会を設立し、活動を続けています。女性参政権が認められて80年となる昨年、史上初となる女性首相が誕生しましたが、政治や経済の分野で女性の参画は道半ばです。高田さんは「『24条の恩恵を受けたあなたたちが頑張らなかったらどうするの』とベアテさんに背中を押されている」と語り、次世代へバトンをつなごうと活動に力を込めています。

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専門家の見解

静岡大学の笹沼弘志教授(憲法学)は、「国家は私的領域に介入しないという近代法の原則の中で、日本国憲法24条は家庭生活に踏み込んで男女平等を定めており、世界的に見ても先進的です。24条は男性と女性の従属関係を抜本的に是正し、女性の自由を現実的に保障しています。個人の尊厳に立脚した法律を作ることを国家に求めており、ドメスティックバイオレンス(DV)防止法などの土台になっています」と評価しています。

ベアテ・シロタ・ゴードンの生涯

ベアテさんは1923年、ピアニストの娘としてウィーンで出生しました。5歳から10年間を日本で過ごし、米ミルズ・カレッジを卒業後、タイム誌のリサーチャーなどを経て、1945年にGHQ民政局のスタッフとして来日し、憲法草案の作成に関わりました。起草に関わったことを長年伏せていましたが、1990年代に公言しました。2012年、89歳で死去しました。