平城京の未知の寺院跡で「佛」木簡と銅板押出仏が出土、富寿神宝も発見
奈良市の平城京(710~784年)跡において、未知の寺院跡と推測される遺構から、「佛(仏)」と記された木簡や銅板押出仏(おしだしぶつ)が出土したことが明らかになった。奈良県立橿原考古学研究所が2月26日に発表したこの発見は、遺構が古代寺院であった可能性を一段と高めるものとして注目を集めている。
詳細な発掘調査と出土品の特徴
調査地は同市杏町に位置し、平城京南部の左京八条一坊十坪にあたる。昨年5月から今年1月にかけて実施された発掘調査では、遺構の北西端にある井戸跡(直径および深さともに約2.6メートル)から、木簡と銅板押出仏が発見された。
木簡は二つに割れた状態で出土し、現存する長さはそれぞれ6センチと8.1センチ、幅は2.9センチと2.8センチである。表面には「佛四升衆僧五升已可」と読める文字が確認され、これは複数の僧侶を指す「衆僧」を含み、米や塩などの物品のやり取りを示していると解釈されている。
裏面には「天平(勝)寳四年四月(七か九)」と記されており、天平勝宝4年(752年)4月9日の東大寺大仏開眼会との関連が推測される。この木簡は、当時の寺院活動や物資管理を窺い知る貴重な史料として評価されている。
銅板押出仏と富寿神宝の発見
銅板押出仏は、薄い銅板を原型に当てて打ち出して作られる仏像で、現存の長さ8センチ、幅3.5センチの大きさを有する。上下に2体の仏像が座っている様子を表現しており、漆と金箔(きんぱく)の痕跡が残っていることから、漆下地に金箔を施していたと考えられる。この押出仏は、寺院の堂内を飾る装飾品として、あるいは単独での礼拝対象として使用された可能性が高い。
さらに、井戸跡の埋土からは皇朝十二銭の一つである富寿神宝(ふじゅしんぽう、818年初鋳)が14枚出土した。この発見は、遺構の廃絶時期を示す重要な手がかりとなっており、歴史的な年代特定に寄与するものと期待されている。
専門家の見解と歴史的意義
奈良県立橿原考古学研究所の本村充保・調査課長は、今回の発見について次のようにコメントしている。「瓦の出土量は少なく、伽藍(がらん)配置も不明確ですが、古代寺院跡と考えるのに十分な状況証拠が得られました。平城京南部の土地活用を想定する上で、極めて重要な資料が得られたと言えます。」
この発掘調査は、平城京の都市計画や宗教施設の分布を理解する上で新たな知見を提供するものであり、古代日本の歴史研究に大きく貢献するものと評価されている。出土品の詳細な分析を通じて、さらなる歴史的発見が期待される。



