酒好きの大科学者、家庭での素顔が写真で明らかに
日本人で2人目のノーベル賞(物理学賞)受賞者であり、東京教育大学(現筑波大学)の学長を務めた朝永振一郎(1906~1979年)が、家庭でくつろぐ姿を捉えた貴重な写真が新たに発見された。これらの写真は、朝永氏を長年にわたり撮影し続けた写真家・菊池俊吉(1916~1990年)の遺族が保管していたもので、生誕120年を迎えた3月31日にその存在が明らかになった。
1960年に撮影された数十枚のスナップ
菊池氏の長女である田子はるみさん(69)が東京都内の自宅で保管していた箱の中から、数十枚のプリント写真が見つかった。これらの写真の多くは1960年3月6日に、朝永氏の自宅やその近所で撮影されたもので、世界的な科学者がリラックスした表情を見せているのが特徴だ。科学誌「自然」の1960年5月号のために撮影されたことが判明しており、誌面には「家庭における先生は温和な民主主義者らしい。家庭撮影の可否については家族会議を開かれた」との記述が残されている。
台所に立つ朝永氏、手作りの酒の肴
写真の一枚には、台所で包丁を手にジャガイモの油炒めを作る朝永氏の姿が収められている。菊池氏による説明書きには「包丁さばきは決して早くはないが丁寧で繊細であった」と記されており、普段から酒のつまみを自ら作る習慣があったことがうかがえる。孫の祐さん(53)を通じて長男の惇さん(82)と長女の滋子さん(84)に尋ねたところ、「気が向くと、酒のつまみを作った。せいぜい月に1回程度」とのことで、この日の調理は特別なサービスだったようだ。
縁側での一献は庶民派のサントリー白札
酒好きとして知られる朝永氏が、お気に入りの縁側でくつろぎながら一杯やっている写真も残されている。卓上にあるのはサントリーの白札(現在のホワイト)で、当時東京教育大学長という要職にありながら、庶民的な嗜好を持っていたことが窺える。普段は日本酒党で、一升瓶を持ち出して晩酌を楽しみ、8時頃には就寝するという生活を送っていたという。しかし、滋子さんが健康を気遣って瓶に「ここまで」と印を付けても、それを超えて飲んでしまうことが多かったというエピソードも伝えられている。
さらに、ノーベル賞の授賞式前には、家で叔父とウイスキーをがぶ飲みし、風呂場で転倒して肋骨を折ったため、式に参加できなくなったという有名な逸話も残されている。
家族だんらんの場にもウイスキーが
居間で家族とだんらんする様子を捉えた未掲載の写真も今回発見された。54歳の朝永氏、46歳の妻・領子さん、18歳の滋子さん、17歳の惇さん、14歳の實さん(79)の家族全員が円卓を囲んでいる。卓上にはシュークリームや紅茶が見えるが、朝永氏の前には例によってウイスキーのグラスが置かれている。孫の祐さんによれば、「荻窪駅前にケーキ屋があって、ときどき買ってきたそうです。大みそかの夜は必ずケーキを買いました」とのことで、家族との甘い時間も大切にしていたようだ。
質素な暮らしと計算式が書かれたチラシの裏
朝永氏の自宅は、現在の杉並区荻窪1丁目にあり、善福寺川が流れる自然豊かな場所に位置していた。門前の姿を捉えた写真も未掲載のカットで、一見豪華な屋敷のように見えるが、実際は平屋に小さな庭が付いた質素な家だった。家には書斎もなく、縁側が指定席となっており、鳥や花を眺めながら、時折チラシの裏に計算式を書いていたという。
妻の領子さんは週刊誌の取材で、「給料やボーナスをもらっても、中身を改めたことはありません。いまでもいくらなのか、自分では知らないでしょう」と語っており、朝永氏がいかに金銭に無頓着だったかが伝わってくる。
写真家・菊池俊吉との長年の関係
菊池氏が初めて「自然」誌で朝永氏を撮影したのは1951年で、以来何度も撮影を重ね、気の置けない関係を築いていた。1960年3月の撮影日も、二人は一緒に酒を酌み交わしたという。菊池氏は朝永氏をはじめとする多くの科学者の写真を残しており、そのアーカイブは貴重な歴史的資料となっている。



