旧日本海軍敷設艇「燕」撃沈から81年、宮古島沖で潜水調査が実施される
太平洋戦争中の水没事故で183人の作業員が犠牲になった山口県宇部市沖の海底炭鉱「長生炭鉱」で遺骨回収作業を進めるダイバーらが、新たな挑戦を開始しました。今月、沖縄県・宮古島沖で撃沈された旧日本軍の艦艇を捜索する潜水調査を始めたのです。沈没から81年という長い歳月を経て、船体や遺骨発見を切に願う遺族の思いに応える形で、この調査がスタートしました。
敷設艇「燕」の悲劇と遺族の長年の願い
捜索対象は、主に機雷を海に設置する役割を担った旧日本海軍の敷設艇「燕」(全長約68メートル)です。歴史資料「先島群島作戦(宮古篇)」によると、この艦艇は輸送船2隻の護衛で宮古島に到着後、1945年3月1日の夕方、米軍の攻撃を受けて海に沈没しました。艦長の吉田武雄さん(当時34歳)をはじめ、70人以上の乗組員が命を落としたとされています。
武雄さんの一人息子である進さん(84歳、千葉市在住)は、戦後に行われた現地慰霊祭に参列したことをきっかけに、長年にわたり国に対して捜索を求めてきました。その切実な思いを知った水中探検家の伊左治佳孝さん(37歳)らが、今回の調査に乗り出したのです。伊左治さんは、長生炭鉱での活動でも知られる専門家で、遺族の願いを実現すべく尽力しています。
潜水調査の詳細と今後の展望
調査が着手されたのは、沈没からちょうど81年となる今月1日でした。宮古島と伊良部島の中間付近で実施されたソナー調査では、水深約50メートルの海底に人工物の可能性を示す影が探知されました。しかし、ダイバーが実際に潜水して確認したところ、この日は船体や遺骨の発見には至りませんでした。
天候や海の状況を慎重に見極めながら、今月上旬にも再調査が行われる予定です。伊左治さんは「ご遺族の年齢を考慮すると、できるだけ早く何らかの痕跡を見つけたいと考えています」と語り、早期の発見に向けて意気込みを表明しました。この言葉には、時間の経過とともに高齢化する遺族たちへの配慮が込められています。
遺族の切なる願いと歴史的意義
一度も直接触れることのなかった父の姿を追い求めてきた進さんは、次のように心情を吐露しています。「父の命日にこの地を訪れるのは、今回が最後になるかもしれません。もし遺骨が見つかれば、母が眠る墓に一緒に入れてあげたいと願っています」。この言葉は、戦争によって引き裂かれた家族の絆と、長年にわたる悲しみを如実に物語っています。
今回の調査は、単なる歴史的発見を超えて、戦争の記憶を後世に伝える重要な取り組みです。宮古島沖の海底に眠る「燕」の船体や遺骨が発見されれば、太平洋戦争の実相を浮き彫りにし、平和の尊さを再確認する機会となるでしょう。関係者たちは、遺族の願いを叶えるため、そして歴史的真相を明らかにするため、今後も調査を続けていく方針です。



