名古屋の生活史プロジェクトが本格始動 100人の人生を聞き書きし書籍化へ
名古屋に縁がある100人の人生の歩みを「生活史」として一冊の本にまとめる中日新聞社の「名古屋の生活史プロジェクト」が正式にスタートした。国内外から5月8日まで公募する100人の聞き手が、それぞれ選んだ語り手の人生を聞き取り、一問一答形式で1万字の原稿に書き起こす。立場も職業も異なる多様な人々の人生を集めるこのプロジェクトの意義について、監修者で社会学者の岸政彦・京都大大学院教授(58)に詳しく聞いた。
生活史プロジェクトの全国展開 名古屋は6カ所目
生活史プロジェクトは、各地域に縁のある100~150人分の生活史を本にまとめる取り組みだ。公募した聞き手が自ら選んだ語り手の生活史を聞き取り、丁寧に記録していく。2021年に最初に刊行された『東京の生活史』(筑摩書房)は、従来にない本作りのプロセスと変わりゆく都市の姿を活写したことが高く評価され、22年の毎日出版文化賞と紀伊国屋じんぶん大賞を受賞した輝かしい実績を持つ。
その後、沖縄、大阪、北海道の順に書籍化が進み、現在は京都でもプロジェクトが進行中。名古屋はこのプロジェクトの6カ所目の実施地となる。これまでの各地の生活史は、それぞれの土地ならではの生活実態や人々の思いを浮き彫りにしてきた。
プロジェクトの発端と根本理念
岸教授によれば、このプロジェクトの発端は2021年に刊行した『東京の生活史』にある。以前勤めていた大学で、学生たちに沖縄の人々の話を聞き書きしてもらった際、特別な技術がなくても信頼関係さえ築ければ非常に興味深い聞き取りができることを発見したという。
「一見起伏がない人生を送る人の生活史でも、読むと面白い。でも市井の人の語りは価値がないと思われて消えてしまう。プロジェクトの意義は、その語りを残すということに尽きます」と岸教授は強調する。
聞き手の姿勢と倫理的配慮
岸教授は聞き手に対して「積極的に受動的になって」とアドバイスする。根掘り葉掘り聞くのではなく、全力で受け身になり、語り手が自由に話せる環境を作ることが重要だという。
同時に、「聞くことが暴力になる」可能性についても注意を喚起する。生活史を聞いて書くことは個人のプライバシーを扱う行為であり、災害や性暴力などのトラウマを体験した人、差別を受けた人々に話を聞く際には、つらい過去を思い出させるリスクがある。
「いくら善意で『残す価値があるから』といっても、口をこじ開けるような聞き方をしてはいけない。これらをきちんと自覚した上で、信頼関係をつくって聞ける範囲で聞くことには大きな価値があるはずです」と岸教授は語る。
匿名性と分析の排除
このプロジェクトでは、語り手は原則匿名で掲載され、性別や年齢、聞き手との関係性などは特に説明されない。岸教授は「中途半端な情報はない方がいい。語り手は、博物館の陳列物ではないんですから」とその理由を説明する。
また、社会学者として個人の生活史を通して社会構造を読み解く研究をしている岸教授だが、一連のプロジェクトではあえて各地の傾向など一切分析をしていない。
「都市の縮図を作るのがプロジェクトの目的ではありません。例えば『これが沖縄ですよ』と書いてひとくくりにまとめることは、ある種の暴力になる。恣意的にその街らしさを入れなくても、できるだけ手を加えていない生の語りの中に思わぬ形で入ってくる」と述べる。
名古屋らしさの自然な浮上
岸教授は『北海道の生活史』では、樺太生まれだったり馬を飼ったりしている人が自然と登場した例を挙げ、『名古屋の生活史』でも結果的に「名古屋、愛知でしか聞けない話」がたくさん集まるだろうと予測する。
「生活史を読んだ後に読み手の中で『名古屋らしさ』が浮かび上がってくると思います」と期待を込める。
プロジェクトへの参加呼びかけ
岸教授はこのプロジェクトを長く続ける中で、聞き手から「おばあちゃんが元気なうちに聞いておけばよかった」という後悔の声が必ず上がると経験から語る。
「じゃあ、今聞きましょう。しゃべってくれる人がいるんだったら、やりましょう」と、プロジェクトへの参加を促すメッセージを送っている。
聞き手の公募は公式ホームページから受け付けており、多様な背景を持つ人々の参加が期待されている。このプロジェクトを通じて、名古屋という都市の多層的な実像が、市井の人々の声によって紡ぎ出されることになるだろう。



