綱取り目前で大波に飲まれた若嶋津、稀勢の里昇進には心からの喜び
浅黒い肌とたくましい顔立ちが印象的な若嶋津は、120キロ前後の細身の体で奮闘した華のある人気力士でした。新弟子当時の体重はわずか78キロで、入門を勧誘した兄弟子の貴ノ花(元大関)が「針金みたいに細かった」と振り返るほどでした。しかし、猛稽古で強靱な下半身を鍛え上げ、素質を開花させていきます。
1984年、横綱目前まで迫った輝かしい活躍
左四つからの寄りや上手投げを得意とする若嶋津が最も横綱に近づいたのは1984年です。大阪での春場所では、14日目に横綱北の湖を堂々と寄り切って初優勝を決め、後に「一番うれしかった」と懐かしむ思い出の白星を挙げました。さらにこの年は名古屋場所で15戦全勝という圧倒的な成績で2度目の賜杯を獲得し、綱取り成就は目前に迫っていました。
しかし、ここで大きな波が立ちはだかります。蔵前国技館最後の場所となった次の秋場所では、入幕2場所目の小錦が快進撃を遂げ、12日目にハワイの巨漢に屈して連覇が遠のいてしまったのです。最高位の夢は成し遂げられませんでしたが、ファンには鮮明な記憶を残す活躍を見せました。
後輩への厳しくも温かい指導と人情味
相撲協会で審判部長を務めていたとき、若嶋津は綱取りに何度も失敗していた同じ一門の稀勢の里(現・二所ノ関親方)に「もっと四股を踏まないと駄目。これじゃ横綱になれないぞ」と厳しい言葉を掛けていました。自身が苦い経験をしたからこそ、後輩に対する目は優しくも厳しかったのです。
だからこそ、稀勢の里が横綱昇進を決めたときには「やっと上がってくれたね」と我がことのように喜びました。朝稽古取材などで部屋に伺うと、気さくにちゃんこの席に誘い、昔の思い出を語ってくれる人情味あふれる人物でした。親方衆だけでなく周囲の誰からも慕われ、相撲界に深い影響を残しました。



