震災から15年、佐藤駿が振り返る「滑る幸せ」と感謝の軌跡
2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックのフィギュアスケート男子で銅メダルを獲得した佐藤駿選手(22歳)は、仙台市出身のスケーターとして、東日本大震災という大きな試練を乗り越えてきた。小学1年生の時に経験したあの日から15年が経過した今、佐藤選手は当時の記憶と感謝の気持ちを改めて語っている。
被災体験がもたらしたスケートへの感謝
2011年3月11日に発生した東日本大震災当時、佐藤選手はまだ幼かった。自宅が半壊する被害を受け、家族と共に東京都へ一時避難を余儀なくされた。この時期、彼にとって最も辛かったのは、スケートを続けることができない状況に陥ったことだった。5歳で滑り始め、羽生結弦選手も練習していた仙台市のリンクを拠点としていた佐藤選手にとって、スケートは生活の一部であり、情熱の対象であった。
「スケートをできる幸せを改めて実感した」と佐藤選手は振り返る。被災後、競技を中断せざるを得なくなった経験が、滑ることへの感謝の気持ちをより強くさせたという。当時の浪岡秀コーチが苦笑するほどにのめり込んでいたスケートが、突然できなくなったことで、その貴重さを痛感したのである。
転機となった埼玉での出会いと成長
東京都内の祖母の家に身を寄せていた時期、佐藤選手は現在師事する日下匡力コーチと浅野敬子コーチとの出会いを果たした。浪岡コーチの紹介により、埼玉県のリンクに通い始めたことが、彼のスケート人生における大きな転機となった。
「埼玉に行けて成長できた」と佐藤選手は語る。被災後、再び氷の上に立つことができた喜びが、彼の技術を急成長させた。半年後に故郷の仙台へ戻るものの、2018年春には父親の転勤に伴い、再び埼玉県のクラブに移籍。この環境の変化が、後のオリンピックでの活躍につながる基礎を築いたのである。
オリンピックでの活躍と支えてくれた人々
初出場となった2026年ミラノ五輪では、4回転ジャンプを武器に銅メダルを獲得。このジャンプの基礎をたたき込んでくれたのは、幼少期から指導にあたった浪岡コーチであった。また、シニア転向後に伸び悩んだ時期には、日下コーチと浅野コーチが温かく見守り、支えてくれた。
佐藤選手は現在の自分を振り返り、「宮城の経験があっての今。全てに感謝している」と語る。被災体験がなければ感じられなかったスケートへの感謝、そして逆境を乗り越える強さが、彼の競技人生に深みを与えている。
震災から15年が経過した今、佐藤駿選手は被災地・仙台から世界の舞台に立つスケーターとして、困難を乗り越える希望の象徴となっている。彼の言葉には、単なる競技者としての成功だけでなく、人生の試練を糧に前進し続ける人間としての深い思いが込められている。