2015年5月、滋賀県東近江市で発生した100畳敷き大凧の落下死傷事故から11年。江戸時代から続く地域の伝統文化は事故後、途絶えていたが、東近江大凧保存会の会員たちは万全の安全対策を講じ、2026年5月2日に再び大凧を揚げる。事故の後悔と伝統継承の狭間で悩み続けた11年間を振り返る。
事故の瞬間とその後の葛藤
2015年5月31日、東近江市のふれあい運動公園で、縦13メートル、横12メートル、総重量700キロの大凧が上空から落下。見物していた男性(当時73歳)が死亡し、8人が重軽傷を負った。当時、近くで凧を揚げていた浜野大凧倶楽部の堤吉男さん(67)は、「今年の凧はきれいに揚がったな」と思った直後、大凧が急降下し「グシャッ」という鈍い音が聞こえたという。
事故原因は、凧をつなぎ留めるアンカーから半径200メートル以内の立ち入り禁止区域を示すロープの位置がずれていたこと。保存会員として半世紀携わる中村章さん(65)は「本来起きてはいけない事故。人災だった」と悔やむ。
安全対策の徹底
今回の再開では、観覧エリアを厳格に設定し、引き手らには凧が揚がったら落ちない場所へ移動するよう指導。中村さんは「凧の下には絶対に人がいない状態にして、けがの可能性を限りなくゼロに近づける」と徹底した安全対策を強調する。
保存会の高齢化と技術継承の課題
東近江大凧の制作や飛揚には多くの役割があり、保存会員らは「竜頭」「大凧元」など各持ち場のスペシャリストとして技術を備える。2015年当時は50人ほどいた会員も、現在は17人まで減少し、うち14人は60代以上と高齢化が進む。
保存会の山路光信さん(70)は、初代会長の故・西沢久治さんの言葉を忘れない。「ええもんやさかい勝手に残っていくのやない。ええもんやさかい残していかなあかんのや」。どんなに素晴らしい文化でも、残そうとする力がなければ廃れる。西沢さんらは太平洋戦争で途絶えかけた大凧を1953年に再興した。
地域の声と再開への決意
事故後、深い後悔と伝統をつなぐ使命感の間で揺れる保存会員ら。近年、住民から「大凧は次、いつやるの」という声が増え、保存会の広田清和さん(72)は「心の片隅でも大凧を思ってくれる人がいるのはありがたい」と感じた。
100畳大凧は地域の人々の思いを背に、11年ぶりに東近江の大空を舞う。事故の教訓を胸に、安全と伝統の両立を目指す挑戦が始まる。
(この連載は岩井里恵が担当します)



