震災で失った仲間の重みを胸に 消防団員が新世代に託す命のメッセージ
あの日、運び出した遺体の重さは今も忘れられない。消防団の親友や、昨日まで普通に会話を交わしていた近所の人たちの遺体だった。岩手県陸前高田市の消防団員であり、菓子店主でもある菅野秀一郎さん(50)は、東日本大震災から13年が経過した今も、当時の記憶と向き合い続けている。
黒い津波が襲ったあの日 避難誘導から必死の逃走へ
2011年3月11日、菅野さんは揺れを感じた後、交差点で住民の避難誘導に当たっていた。その時、目の前に黒い津波が迫ってくるのが見えた。住民と共に必死に高台へ逃げたが、所属する高田分団第3部では団員の半数が犠牲となった。中には幼なじみの顔も含まれていた。
「あまりにも多くの人を亡くしてしまった。死んでまたみんなに会えるまでの間、自分は次の世代へのパイプ役として尽くす」と菅野さんは語る。団の退避場所とされていた市民体育館は低地に位置しており、津波に飲み込まれた。その付近に出動していた団員たちは帰らぬ人となったのである。
がれきの中からの遺体収容 眠れぬ日々の連続
震災後、菅野さんはがれきの中から遺体を運び出し、遺体安置所の番を続けた。毎日のように眠れない夜が続き、弟も津波に奪われた悲しみと向き合わなければならなかった。陸前高田市では消防団員51人が殉職し、被災した市町村の中で最も多い犠牲者数となった。
「人が人を助けるのは当たり前の行為だけど、それで命を落とす人がいた」という現実が、菅野さんの胸に深く刻まれた。それでも彼は消防団員を続ける決意を固めた。震災を教訓に、市の防災マニュアルには団員の率先避難が明記されるようになった。
新入団員への置き手紙 命を守るための教訓を継承
現在、菅野さんは消防団の詰め所にある神棚に、特別な手紙を置いている。そこには「必ず逃げろ」「自分の命をまず守れ」というメッセージが記されており、新入団員に必ず読んでもらうようにしている。
「手紙なら、自分が死んだ後も読んでもらえるから」という思いが込められている。この取り組みは、震災で得た苦い教訓を次世代に確実に伝え、二度と同じ悲劇を繰り返さないためのものだ。
消防団員としての責務と、一個人としての生存本能の間で揺れ動いた経験が、この実践的な防災教育へと結実している。菅野さんは今も地域の防災活動に携わりながら、震災の記憶と教訓を語り継ぐ役割を果たし続けている。



