「お帰り」と言える日を待ち続ける母の15年
寒風が吹きすさぶ2月上旬、岩手県陸前高田市の古川沼のほとりに、一人の女性が佇んでいた。吉田税さん(91)は、眼前に広がる水面をじっと見つめながら、静かに語りかける。「息子の指でも足でも、もしかしてこういうところに寄っているんじゃないかな」。その言葉には、東日本大震災から15年が経過しても消えない、深い悲しみと切なる願いが込められていた。
行方不明の長男・利行さんを求めて
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、吉田さんの長男・利行さん(当時43歳)は行方不明となった。地元の商工団体の職員として働いていた利行さんは、震災当日、市役所近くで高齢者らの避難を手伝う最中、津波にのまれたとみられる。最後の目撃情報をきっかけに、その姿は忽然と消えた。
利行さんは子どもの頃から曲がったことが嫌いで、困っている人には率先して手を差し伸べる性格だった。その責任感の強さから、周囲からは「棟梁」のあだ名で親しまれていた。吉田さんは当時の息子の心境を思い返し、「『最後の一人まで助ける』という使命感があったのかもしれない」と語る。
悲劇と希望の狭間で
震災では、吉田さんの長女の子ども2人も犠牲となり、遺体で発見された。吉田さんは避難所や遺体安置所を必死に回ったが、利行さんの姿はどこにもなかった。「どうしてこんなに不幸になったのか。震災さえなかったら」と、彼女は深い悲嘆に暮れた。それでも、諦めきれない気持ちを抱えながら、死亡届を提出。野球好きだった利行さんが愛用していたボールを遺骨代わりに墓に納めた。
震災から5年ほど経った頃、吉田さんはかつての市役所に近い古川沼に目を向けた。広田湾から漂流物が流れ着くこの場所に、「息子だけでなく、多くの市民が眠っているはず」と確信。県警などに捜索を要請し、2016年に実現した。しかし、泥がたまった沼での作業は難航し、複数回にわたる周辺の捜索でも、行方不明者の発見につながる手がかりは見つからなかった。
命の限り続く捜索の日々
現在91歳を迎え、体の衰えを感じるようになった吉田さんだが、今でもふとした瞬間に利行さんの姿が頭に浮かぶという。今年2月には、大船渡署が市内で開いた相談会を訪れた。昨秋、同じく行方不明だった山田町の女児の身元が判明し、遺骨が両親に引き渡されたばかりの出来事が、彼女に新たな希望を与えた。
署員から「見つけたら連絡します。待っててください」と言葉をかけられた吉田さんは、「骨の一つでも見つかれば」と願いを強くする。自宅は高台に位置し、津波の難を逃れたが、風呂場を広くするなど、利行さんの優しさを至る所に感じられる自慢の我が家だ。
吉田さんは「いつ死んでもいい」と思う一方で、「息子の遺体を見つけたい」という希望も抱き続けている。毎日がその繰り返しだ。「そう遠くないうちに私も人生が終わると思うが、諦めろって言われても諦められない」。命の限り、息子の帰りを待ち続ける母の思いは、今も静かに、しかし確かに燃え続けている。



