被災地を測り続ける会社の使命 阪神大震災から未来へつなぐ3D計測技術
2011年5月の早朝、生川慎は東京から車を走らせ、福島第一原発に向かっていました。東日本大震災の爆発事故から約2カ月後、当時29歳で営業を担当していた生川は、大阪府箕面市の測量会社クモノスコーポレーションの執行役員として、この危険な任務に挑みます。
福島第一原発での緊急計測
原発から20キロ手前のJヴィレッジに到着した生川は、本社から送られてきた3D計測車を受け取りました。この車の屋根には3Dスキャナーが搭載されており、走行しながらレーザーで周囲をスキャンし、1秒間に1万数千回の計測で立体的なデータを記録します。道路の段差やがれきの位置を把握し、復旧作業の計画に役立てるためです。
生川は防護服と防塵マスクで身を包み、東電のスタッフとともに原発敷地内に入りました。放射線量計が鳴る中、20分ほどで計測を終え、被曝量はレントゲン5回分程度だったと記憶しています。この計測は、社長の中庭和秀が東電に提案したもので、当時、放射線量の高い現場で短時間に測れる技術を持つ会社は全国でも数社しかありませんでした。
熊本地震での復旧支援
東日本大震災から5年後の2016年4月、熊本地震が発生します。クモノスの社員、生田充弘は同僚とともに被災地に入り、熊本城の復旧工事を請け負った大林組からの発注で計測を実施しました。特に「飯田丸五階櫓」の石垣は一部が崩れ、「奇跡の一本石垣」と呼ばれる状態でした。
3Dスキャナーを使って数十メートル離れた位置から計測し、誤差は数ミリに抑えました。高所作業車も使い、2~3日かけて詳細なデータを取得。生田は新潟県中越地震など過去の災害でも経験を積み、「復旧や復興の役に立てる」という使命感を抱いています。
阪神大震災が創業のきっかけ
クモノスコーポレーションの原点は、1995年1月17日の阪神大震災にあります。当時、大阪府寝屋川市にいた中庭社長は、神戸からの支援要請を受け、人手不足の被災地で測量作業に携わりました。この経験が、災害時の計測技術の重要性を認識させるきっかけとなりました。
執行役員の樺山太朗は、「創業のきっかけが阪神大震災の私たちは、災害の測量で声がかかれば積極的に出かけていく」と語ります。被災地を測ることは、単なる業務ではなく、会社の使命として受け継がれているのです。
未来に向けた「測って残す」取り組み
クモノスは、3D計測技術を駆使して被災地のデータを記録し、復旧計画に貢献するだけでなく、将来の防災や研究に役立てるため、データを保存・活用しています。例えば、福島第一原発の計測データは、放射能汚染の影響評価に、熊本城のデータは文化財修復の参考にされています。
この取り組みは、単なる計測を超え、災害の記憶を未来に伝える役割も果たしています。技術の進歩とともに、より精密で迅速な計測が可能になり、被災地支援の形も進化し続けています。
クモノスコーポレーションは、阪神大震災を起点に、福島、熊本と、全国の被災地で計測技術を磨き、復興に寄与してきました。危険と隣り合わせの現場でも、社員たちは「何かできることはないか」という思いで挑み続けています。彼らの活動は、災害に強い社会づくりに不可欠な要素として、今後も重要な役割を果たしていくでしょう。



