父のがんでの死後、数十億円の借金と定員割れの学校を継承した奥田修史氏の苦闘
学校法人奥田学園の理事長であり、創成館高校の校長を務める奥田修史氏は、父親から継承した学校経営の重責に日々奮闘している。父・一正氏が肝内胆管がんで亡くなった後、奥田氏は数十億円に上る莫大な借金と深刻な定員割れに直面した問題校を引き継いだ。当時の状況は極めて厳しく、偏差値ランキングに数値が記載されないほどであったという。
「おやじ以上に怖い人に会ったことはない」と断言する父との日々
奥田氏は26歳で奥田学園に就職し、秘書として父の一正氏と理事長室で机を並べた。その日々は、常に怒号を浴びせられる「365日24時間労働」とも言える過酷なものだった。仕事のアイデアが浮かぶと、夜中の2時や3時でも起こされることが日常茶飯事であった。奥田氏は「しんどかった」と振り返る一方で、「四六時中、学園のことを考える後ろ姿を見せてくれた」と父の姿勢に敬意を表している。
奥田学園は1962年に祖父が長崎市に高校を開校し、1969年に2代目理事長となった一正氏が引き継いだ。一正氏は1988年、長崎県諫早市に校舎を新築移転し、創成館高校と改称。約40年前の当時としては珍しかったコンピューターを450台そろえるなど、先見の明のある経営手腕を発揮した。奥田氏は今でも「絶対に超えられない」と父を称えている。
父の死と学校継承の決意
学園で働き始めて5年ほど経った2003年、一正氏が入院した。病床で過ごしていたある日、一正氏は点滴を抜き、自力で着替えて職場に行こうとした。奥田氏が引き留めると、頬をひっぱたかれ、「見損なったぞ」と声を振り絞られた。これが仕事一筋だった父との最後の言葉となった。一正氏はその年の5月、68歳で息を引き取った。
告別式では、家族思いだった一正氏との思い出がよみがえった。学生時代、長崎に帰省すると、必ず高校がある福岡まで車で送ってはステーキを食べさせてくれた父の優しさを思い出し、500人を超える参列者の前で「父親のようにまっすぐ男らしく、この学園を継ぎます」と涙ながらに宣言した。
継がない選択肢もあったが、5年間一緒に苦楽を共にした教職員や生徒たちを残して「逃げるわけにいかなかった」と決意を固めた。現在、奥田氏は父の遺志を胸に、借金返済と学校の再生に向けて尽力している。偏差値ランキングに数値が載らないほどの状況から、少しずつ改善の兆しが見え始めているという。



