池田小事件25年、遺族が語る新たな思い「確かに産み育てた」
池田小事件25年、遺族が語る新たな思い

大阪教育大学付属池田小学校(大阪府池田市)で児童8人が死亡、教師2人を含む15人が重軽傷を負った児童殺傷事件は8日、発生から25年を迎えた。同日、同校で追悼式典「祈りと誓いの集い」が営まれ、遺族や教職員、児童らが犠牲者の冥福を祈り、安全な学校づくりへの決意を新たにした。

母子手帳と向き合った母の25年

当時1年生だった長男の戸塚健大君(享年6)を亡くした母の正子さんは、長年開くことができなかった健大君の母子手帳とアルバムを、今春から見返すようになった。

記録的な猛暑だった1994年7月、健大君は2542グラムで誕生。その小さな姿を見て「暑すぎて早く出てきたかったんだね」と思った記憶がよみがえる。事件後、付属池田小の保護者コーラスグループに所属し、風化を防ぐための講演も行ったが、喪失感は癒えず、次第にアルバムを開かなくなっていた。

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転機は、10歳離れた次男が大学生になり、子育てが一段落したこと。時間ができ、四半世紀を振り返ると「本来のグリーフ(悲嘆)を押し殺してきたのではないか」と気づいた。心の奥底に閉じ込めた思いに向き合おうとアルバムを開き、同時に次男の母子手帳とともに健大君のものも見つけた。

お宮参りや七五三、入学式の写真。笑顔あふれる健大君の姿と母子手帳の記録に、「涙は流れても、私は確かにこの子を産み育てたのだ」という幸せで温かな思いに包まれた。今も時折、母子手帳やアルバムを開く。「健大がすぐそばにいてくれる気がするから」と語る。

アメフト仲間が支えた父の再生

当時2年生だった長女の優希さん(享年7)を亡くした本郷紀宏さん(61)は8日午前、付属池田小を訪れ、現場となった教室や廊下を歩いた。上着のポケットに笑顔の優希さんの写真を入れ、「そばにいるよ」と語りかけた。

25年間を支えたのは、同じ大学のアメフト部の仲間だった。あの日、紀宏さんから連絡を受けた田中孝弘さん(60)は、当時住んでいた福岡県から大阪へ駆けつけた。アメフト部ではライバルであり、同志だった。司法解剖が行われた大阪大学で対面すると、紀宏さんは崩れ落ちた。田中さんは「出来ることがあったら何でも言ってほしい」と告げた。

事件から1年後、紀宏さんは「生きているのがつらい」と打ち明けた。田中さんは事件に触れず、そばにいることを心がけ、出張先から特産品を送り続けた。それは「俺がおるよ」というメッセージだった。

数年後、紀宏さんは部員同期の飲み会に顔を出した。周囲に感謝の言葉を述べる姿を見た田中さんは「何とかしてやりたいのに、何もしてやれない」と泣き叫んだ。紀宏さんは「わかってくれるやつらがいる。こいつらのためにも、顔を上げて生きていかないといけない」と改めて思った。

還暦を過ぎた今、田中さんは関西に戻り、交流は続く。紀宏さんは講演でアメフト仲間の話に触れ、「仲間の存在が立ち上がる力をくれた。本当に感謝している」と語る。

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