水俣病70年、知らずに見過ごす痛み
水俣病が公式に確認されてから、2026年5月1日で70年が経過した。熊本県水俣市で開かれた慰霊式では、胎児性水俣病患者らが献花し、今なお続く苦しみを静かに訴えた。
筆者は1994年春まで熊本の大学に通い、水俣病の専門家の講義を聴いたが、問題の一端をかじったにすぎなかった。95年の政治解決で未認定患者に一時金が支払われた際、「水俣病は終わった」と感じ、関心は薄れた。しかしその後も大きな判決や第2の政治解決が相次ぎ、問題は決して終わっていないことを痛感した。
希望して4年前に現地に赴任すると、机上の知識と現場の現実との違いに驚かされた。水俣病といえば、もだえ苦しむ劇症患者のイメージが強い。だが現地で出会う被害者は、一見すると健康な人と変わらない。しかし、手足の痛みや耳鳴り、やけどに気づかない感覚の鈍さに長年苦しめられ、周囲に理解されない悲しみを抱えている。
「夜中に針で刺すような痛みで寝不足。トイレに這って行く」「足のこむら返りで毎日苦しい。ゆっくり眠りたい」「味が感じにくいので、食事を美味しく作ってあげられないのがもどかしい」――。朝日新聞社、熊本朝日放送、鹿児島放送、熊本学園大学水俣学研究センターの4者が行った共同アンケートには、こうした悲痛な叫びが寄せられた。
国は実態を見ようとしない
「最終解決」を掲げた第2の政治解決後、取材では「やれることはやった」という空気が漂う。2年前の「マイク切り」問題では、環境省職員が被害者の訴えを遮り、非礼な対応とともに寄り添わない姿勢が批判された。省は反省を繰り返したが、今年の懇談でも患者認定の見直しなどに「ゼロ回答」。「だれも実態を見ようとしない。被害者の家をもっと訪ねてくださいよ」との声が上がる。
知らなければ、痛みに気づけない。まだすくいきれていない声がある。実態を調べ、向き合わなければ、被害者はいつまでも苦しみ続ける。70年は長すぎる。



