埼玉県のニュース 〈さいたま市 25年 今昔〉(1)浦和 駅前商店街 記憶つなぐ
さいたま市が誕生から25年を迎えた。21世紀が幕開けした2001年5月、浦和、大宮、与野の旧3市が合併して発足。05年に旧岩槻市が加わり、今では人口135万人を超える大都市へと成長した。新旧の写真を比べ、四半世紀の変化を見つめながら、街の将来を考える。
再開発される前の浦和駅西口。正面に「バッグの店あぶらや」がある。左端は旧浦和駅前交番(2016年12月1日撮影、羽部徳人さん提供)
県都の玄関口・浦和駅西口の光景はここ数年で激変した。小さな商店が密集していた約1.8ヘクタールの南高砂地区には今、再開発の地上27階建てのタワーマンションや複合施設「浦和カルエ」が見下ろすように建つ。昭和の香り漂う商店街から近代的な文教都市の街に生まれ変わった様相だ。
完成間近の浦和カルエがそびえ、すっかり様変わりした浦和駅西口。左端は解体工事が始まった旧浦和駅前交番(4月28日撮影)
かつての写真に目を向けると、道沿いには老舗の和菓子店などが並び、奥にはさまざまな商店が軒を並べていた様子が伝わる。再開発の都市計画決定から19年。今夏に完成する新しい街の姿に、特別の思いを寄せる人たちがいる。
宮沢啓人さん:老舗書道店の5代目、新施設へ
「ここで生まれ育ってきたので、また戻って店を出すことにした」。書道総合用品店「鵞毛堂(がもうどう)」5代目社長の宮沢啓人さん(54)は静かに決意を語った。創業124年の老舗は商店街の中心にかつて立地。地元の児童生徒や教員から長らく頼りにされる存在で、幼い頃に店の上に住んでいた宮沢さんにとっては今も思い出が詰まった街だ。
再開発の話が進むにつれて移転や廃業した店は多い。宮沢さん自身も悩んだが、「意地もあった」。不特定多数の幅広い年齢層の集客を見込める利点を生かそうと、浦和カルエ2階に新店舗を構えることに決めた。初めてギャラリースペースも設ける予定だ。
「SNS(交流サイト)を使って発信力を上げれば、新たなお客さまに来てもらえるチャンスはあるはず」。商店街時代と同じような、温かな顧客との関係が新店舗でも生まれることを期待している。
羽部徳人さん:バッグ店は電話販売へ、再開発に期待
一方、浦和カルエには出店しない決断をした人もいる。駅を出てすぐ道沿いにあった創業91年の「バッグの店あぶらや」を営む羽部徳人さん(60)。現在は電話での注文販売などで昔からの顧客と関係を続けている。後継者問題もあり、新店舗は構えず、電話注文を中心にした形で営業を継続することにした。
駅前のカバン店として長く親しまれ、ランドセルや婦人物が飛ぶように売れた時代もあったが、徐々に競合店が増えるなどして厳しい時代に。「飲食、物販、パチンコなど何でもあった商店街だった」と羽部さんは懐かしそうに語る。
再開発については「モヤモヤはあるが、エゴを出しても街の発展にならない」ときっぱり。「駅前の土地は半分公共のもので、自分の持ち物ではない気持ちがあった。駅前が再びにぎやかになれば、みんなや街のためになる」と離れた立場から期待する。
浦和カルエの核店舗には家電量販大手のビックカメラの出店が決まった。来年4月には市民会館うらわもオープンする。この場所で生きてきた人たちの思いを受け継ぎ、新たな街の歴史が始まる。(藤原哲也)
宅地開発進み人口135万人超
さいたま市は、国の旗振りで進んだ「平成の大合併」の先駆けとして、2001年5月1日に浦和、大宮、与野の旧3市が合併して誕生した。合併当初の人口は約103万人で、03年には合併目的だった政令指定都市へ移行。首都圏の大都市として歩みを始めた。
05年に旧岩槻市と合併し、現在の10区の市の形に。各地で都市開発や住宅開発が進んで人口は07年に120万人、18年に130万人を突破した。現在の人口は135万人超。特に子育て世帯の流入が多く、0~14歳の転入超過数は政令市の中で長らく1位だった。
都市化の進展とともにコクーンシティや浦和パルコが誕生して商業施設が充実し、文化施設も鉄道博物館や大宮盆栽美術館、岩槻人形博物館が相次いでオープンした。市内ではサッカーなどのスポーツも盛んで、浦和レッズと大宮アルディージャの対戦「さいたまダービー」も定着した。
22年には合併時から課題だった市役所本庁舎のさいたま新都心地区への移転が決定。今年3月には市と県が埼玉高速鉄道(地下鉄7号線)の岩槻延伸に向けた事業実施要請を鉄道事業者に行った。県都の発展は新たな段階に入っている。(藤原哲也)



