ハンセン病廃法30年、続く家族への偏見と苦悩
ハンセン病患者の強制隔離を定めた「らい予防法」の廃止から、2026年4月1日で30年を迎える。この間、元患者への補償に加え、家族への補償制度も導入されたが、差別や偏見は今なお根強く残り、多くの家族が世間の目を気にして補償申請をためらっている。最愛の姉を思う元患者の女性は、「偏見は末代までなくならない」と訴え、深い悲しみを語る。
石を投げられた傷痕、今も頭に残る記憶
国立ハンセン病療養所「邑久光明園」(岡山県瀬戸内市)に入所する浜本しのぶさん(89)には、忘れられないつらい思い出がある。80年以上前のある日、仲良くしていた近所の男の子から突然、石を投げられ、口をきいてもらえなくなった。当時8歳だった浜本さんは、何が原因か分からず、「何で急に」と悩み続けた。
浜本さんは、2歳上の姉と祖母と兵庫県内で暮らしていた幼少期、姉とともに国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(瀬戸内市)の未感染児童寮に送られた。この施設は、親がハンセン病を発症した際にその子らが収容される場所だが、浜本さんはなぜ自分が寮に入れられたのか理解できなかった。真実を知ったのは20歳を過ぎてからで、幼い頃に父がハンセン病を発症し、愛生園などに入所していたこと、そして自身が入寮して間もなく父が42歳で亡くなっていたことを、姉や園の関係者から少しずつ聞き悟った。
「父のことを知られたから石を投げられたのか」と振り返る浜本さんは、自身も11歳でハンセン病を発症した。ハンセン病は、らい菌による末梢神経や皮膚の障害を引き起こすが、感染力が極めて弱く、遺伝もしない病気だ。寮で別々に暮らしていた姉は発症せず、しばらくして寮を出たが、離れ離れになっても姉は時々面会に訪れ、給料で買った服や靴を贈るなど、優しく責任感の強い人柄だった。
姉への差別と「おしまいにしよう」の決断
しかし、差別の矛先は姉にも容赦なく向けられた。縁談が持ち上がった際、相手側が興信所を使って姉の家系を調べ、家族に患者がいると分かると破談になった。別の男性と結婚して身ごもった時は、「病気が遺伝するかもしれない。おろしてほしい」と言われ、出産をあきらめざるを得なかった。
浜本さんは、「姉ちゃん、すまなんだ。私のせいで、一生を棒に振ることになってしもて」と謝ると、姉は「気にせんでええ。あんたが悪いんと違う」と気丈に振る舞っていた。だが、差別の実態をもっと知ってほしいと、浜本さんは元患者らが隔離政策の人権侵害を訴えた「ハンセン病国家賠償請求訴訟」に原告として加わった。姉に影響が及ぶかもしれないと懸念したが、姉の「あんたが苦しんだんやから、頑張ってやったらええ」という言葉に背中を押され、救われた気がしたという。
2001年、熊本地裁で原告勝訴の判決が言い渡され、国の控訴断念で判決が確定。同年6月にハンセン病補償法が成立し、元患者への補償金支給が決まった。2019年には、元患者の配偶者や子、きょうだいら、差別に苦しんできた家族を対象にした家族補償の制度も導入された。しかし、姉は一向に申請しようとしなかった。自分のことを姉の周りの人たちに知られたら、また苦しめることになるかもしれないという思いから、浜本さんは約5年前、姉に電話で別れを告げた。
「私は療養所で世話してもろとるから、心配せんでええ。おしまいにしよう」。姉も受け入れたといい、以降連絡をとっていない。幼い頃、石を投げつけられた時の傷痕は今も頭に残り、くしを通すたびに引っかかる。浜本さんは、「心の傷も一生消えることはない。自分も家族も悲しいさだめを背負わされ、不幸になるのがハンセン病」と語りながら、目に涙を浮かべた。
家族補償申請は4割弱、プライバシー懸念が壁
元患者の家族補償制度では、2019年に成立した「ハンセン病元患者家族補償法」に基づき、国が元患者の子や配偶者、兄弟姉妹らに130万~180万円を支給する。厚生労働省の推計によると、対象者は約2万4000人に上るが、申請期限は法施行から5年以内と定められたものの、請求しない人が多く、2029年11月21日まで5年間延長された。施行から6年以上が経過した2026年3月12日時点でも、申請は9147件と4割弱にとどまっている。
ハンセン病国賠訴訟で原告側弁護団に加わった岡山市の則武透弁護士は、「申請時にプライバシーは保護されるが、『身内に患者がいた』と周囲に知られることを恐れ、申請できない例も多い」と指摘する。さらに、「元患者だけでなく、家族も深刻な差別を受けていることを人々がもっと知る必要がある」と強調し、社会全体の理解促進を訴えた。
らい予防法廃止から30年が経過しても、ハンセン病をめぐる差別と偏見は解消されず、家族への影響は深刻だ。浜本さんのような元患者の苦悩と、家族補償制度の課題は、人権尊重の観点から今後も注目されるべき問題である。



