栃木県宇都宮市にある宇都宮城は、平安時代末期からの長い歴史を持つ城です。高さ10メートルの土塁の上に2基の櫓が立ち、2007年に一部が復元されました。戊辰戦争と太平洋戦争という2度の戦火でかつての姿は失われましたが、現在は城址公園として市民の憩いの場となっています。
歴史の変遷
発掘調査では、宇都宮氏の3代目・朝綱(1122~1204年)の時代とみられる堀が確認されています。鎌倉幕府の要職を務めた宇都宮氏は、下野国で最も格式が高い二荒山神社の神職としての権威を背景に勢力を拡大。戦国時代には武田氏や北条氏と戦い、城は堅固に造られました。
豊臣秀吉の時代に宇都宮氏は改易され、江戸時代には徳川家の譜代大名が城主に。日光東照宮への参拝時に将軍が宿泊するため、2代将軍秀忠から8代吉宗まで使用された御成御殿が設けられました。10メートルの土塁は、将軍を守るために城の防御を強化する役割を果たしました。
戦火による消失
宇都宮城が初めて戦災に見舞われたのは、1868年の戊辰戦争です。旧幕府軍の攻撃で落城し、宇都宮藩兵が二の丸御殿に火を放ち、多くの建物が焼失しました。その後、新政府軍が奪還しましたが、城主の戸田忠恕は22歳の若さで死去。残った櫓や門は払い下げられました。
2度目は1945年7月12日の宇都宮空襲です。陸軍の拠点があった宇都宮は米軍の空襲を受け、本丸付近の被害は少なかったものの、戦後に焼け出された人々の住居確保のため土塁が崩され、堀が埋められました。城の面影はほとんど失われました。
復元への取り組み
宇都宮城の復元は、中心市街地の活性化と新たなランドマーク創出を目的に行われました。2002年に「よみがえれ!宇都宮城」市民の会が発足し、発掘調査や絵図面などの文献資料に基づき、江戸中期の姿を再現。土塁はコンクリート表面に砂と繊維を混ぜた特殊な土を吹き付け、二つの櫓はスギ材を伝統工法で組み立て、土壁にわらを混ぜた土を塗り、白漆喰で仕上げています。
城址公園では、毎年10月に宇都宮城址まつりが開催され、戸田忠恕が将軍代理として東照宮に参詣した行列が再現されます。また、清明館歴史展示室や宇都宮城ものしり館では、城や市の歴史を無料で学べます。櫓の2階部分は毎月第3日曜日に特別開放され、現在は補修中のため6月まで南側の富士見櫓が開放されています。
宇都宮城址公園はJR宇都宮駅から徒歩約20分、関東バスで約15分。市民にとっては、子どものころスケート場として親しまれた場所でもあり、今では地域の誇りとして語り継がれています。



