作家鈴木光司さん死去1カ月、故郷・浜松への愛と気さくな人柄を地元関係者が語る
鈴木光司さん死去1カ月、故郷・浜松への愛を語る

「リング」「らせん」などのホラー小説で世界的に知られる作家の鈴木光司さんが、今年5月8日に病気のため68歳で亡くなってから、6月8日で1カ月が経過した。鈴木さんは浜松市出身で、故郷を深く愛し、その魅力発信に積極的に貢献してきた。長年にわたって交流を続けてきた地元の関係者たちは、共に過ごした時間を懐かしみ、鈴木さんから受け取った思いを心に刻んでいる。

気さくな人柄に「推し」となった関係者

広告製作会社を経営する木村大作さん(62)=浜松市中央区=は、鈴木さんを「豪快でラテン系、日本の小説家の印象を変えた方だった」と振り返る。約30年前、タウン誌の取材で初めて会った時、鈴木さんは前年に「らせん」で吉川英治文学新人賞を受賞したばかりで、時の人だった。小説家は気難しいイメージがあったが、鈴木さんは「ホラーは嫌いなんだよ。貞子はかわいいじゃん」と笑いながら語ったという。さらに、自ら「文壇最強の子育てパパ」と称し、「父親も0歳から育児した方が、仕事も人間力も上がるよ」とアドバイスしてくれた。その気さくな人柄に、木村さんはすっかり「推し」になったという。

それ以来、新刊が出るたびに感想を書いて手紙を送ると、鈴木さんは年賀状でお礼を返してくれた。浜松まつりに帰省する鈴木さんと2年に1度会う機会もあった。鈴木さんは地元に初子がいないことを知り、自ら寄付金を出して「初子」となり、祝ってもらっていた。「『浜松に生まれてラッキー』と言っていた。地元を愛していた小説家だった」と木村さんは語る。鈴木さんは経歴に「静岡県出身」と書かれると、必ず「浜松市出身」に修正させていたという。

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鈴木さんから「弟子」と呼ばれていた木村さんは、師の死去を受け、多くの人に『リング』を改めて読んでほしいと願う。「ホラーの印象が強いけれど、光司さんは『一番怖いのは大切な人を失うこと』と話していた。物語には『どんな不条理にも人間は論理的に原因を解明し、生きる道を切り開ける』という思いを込めていた」と語る。そして、「浜松市に鈴木光司記念館をぜひ建ててほしい」と付け加えた。

同級生が語る「ホラー作家と言われるのが嫌だった」

鈴木光司さんとの思い出を振り返るのは、浜松北高の同級生で、現在は湖西市でスポーツ用品やプラスチック成形などの製造業を営む中村哲也さん(68)だ。中村さんは、「リング」の構想を鈴木さんから初めて聞いたのは大学1年の時だったと語る。中村さんと鈴木さん、後に静岡県知事となった鈴木康友さんは浜松北高の同級生で、そろって慶応大学に進学。ある時、伊豆の貸別荘に泊まり、夜に「怖い話をしよう」と盛り上がった。

「光司がリングの始まりのような話をして、超怖くなっちゃった。この話はすげえぞと。早く本にしろと声が上がった」と中村さんは当時を振り返る。実際の刊行はそれから10年余り後の1991年。ホラーブームの火付け役となり、国内外で映画化された。ただ、「彼はホラー作家と言われるのが嫌だった。あくまで小説家なんだよね」と中村さんは指摘する。

昨年出版された「ユビキタス」は「ホラーじゃなくてSFのような世界。またヒットしそうだったのに。道半ばだった。まさかこんなことになるとは」と、友の訃報の衝撃は今も続いている。

鈴木さんは年1度、浜松市で開かれる高校の学年同窓会に必ず出席し、いつも同級生を「相方」として漫才を披露し、場を盛り上げていたという。今年1月の同窓会で再会した際も元気で、ユビキタスの続編を出すことを話してくれた。

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中村さんは、小説家になる夢を貫いた鈴木さんから大きな刺激を受けたという。「大学を出ても就職しなくて。よほどメンタルが強くないとできない。自分を信じていた」と述べ、「私も相当頑張ってきたけれど、それは光司のおかげ。パワーを与えてくれた。いまだにそのパワーはもらっているままなんだ」と感謝の気持ちを語った。