「働きたいけど、働けない」「自立の仕方が分からない」。ひきこもりの当事者や家族は、そんな深い悩みを抱えている。全国各地で就労支援の取り組みが進む中、区長自身が元ケースワーカーという異色の経歴を持つ東京都江戸川区では、働く「きっかけ」となる場が数多く創出されてきた。
駄菓子屋が生んだ奇跡
その代表例が「駄菓子屋」だ。4月14日昼過ぎ、都営新宿線瑞江駅そばにある「駄菓子屋居場所 よりみち屋」を訪ねた。ガラス扉を開けると、カラフルな駄菓子が所狭しと並んでいる。「いらっしゃいませ」。少し小さな声で、店番をしていた牧野さん(16)が迎えてくれた。
牧野さんは中学1年の途中から学校に行けなくなり、自宅に引きこもるようになった。生活は昼夜逆転し、今も学校には通っていない。特に人と話すことが苦手で、特定の状況で言葉が出なくなる「場面緘黙」の症状もあった。「働かなきゃまずいなあと思ったけど、自分では踏み出せなくて…」。悩んでいた昨秋、中学校の先生がこの場所を紹介してくれた。
区に相談しているひきこもり当事者は、就労体験ができる。1日3時間まで、最長6カ月。働いた分の賃金(都内の最低賃金)が支払われる。1日15分から働けるのも特徴だ。
「15分なら」の一言が変えた生活
「15分なら働けるかも」。牧野さんは一歩を踏み出した。最初はよりみち屋の交流スペースに慣れることから始まった。地域の子どもたちやお年寄り、ひきこもりの人たちがおしゃべりしたり、ゲームをしたりする場所だ。決まった日に、決まった時間に、休まず遅れず通う――。生活のリズムを変えていった。当初はそわそわしていたが、絵を描いたりぼんやりしたりするうち、周囲の人と話せるようになった。
「みんな優しいし、外に出られるのはうれしい」。年が明けて3月、いよいよ就労体験を始めた。清掃、品出し、接客、レジ…。慣れないことばかりで緊張の連続だったが、責任感を持って少しずつこなした。一生懸命働く牧野さんを、居場所の利用者は温かく見守ってくれた。
自転車のペダルが軽くなった日
初めて1日2時間働けた日の帰り道、自転車のペダルがほんの少し軽い気がした。景色が明るく見えた。社会に出ているんだ、と実感をかみしめた。できるようになったことがある。「人と話せるようになった。あと、早起きできるようになった。それから、自分の思いも口にできるようになった」。少しずつでも一歩、一歩。夢はカラオケ店の店員さんになること。「歌が好きだし、楽しそう」。まずは人の目を見て話す練習をしている。「きょうはいつも通り働けた。今は、社会を学んでいるんです」
江戸川区の「短時間就労」が拓く未来
江戸川区が2021年度に実施した大規模実態調査では、ひきこもり当事者は9096人。うち約4割が就労支援を求めていた。区は2021年6月、「みんなの就労センター」を開設。障害や年齢を問わず相談でき、1日15分から働ける場所の提供は全国初だった。
区障害者福祉課の上坂かおり課長は「就労のためのステップアップの相談場所。社会のルールやあいさつの仕方など、少しずつ学んでもらいたい」と語る。駄菓子屋以外にも「仕事」がある。例えば、公共施設にある金魚水槽の清掃。江戸川区の名産である金魚に触れつつ、丁寧に掃除をする。金魚を見に来た子どもたちと会話ができるようになった就労者もいる。
広がる「きっかけ」の選択肢
今年1月には、図書館で返却された本を元の位置に戻す「配架」の仕事が増えた。就労体験をしている10代男性は「図書館はざわざわしていないので、落ち着いて作業できる」と話す。最初は週1回、1日1時間で始め、今は週2回、1日2時間働けるようになった。4月にできた「デジタルラボえどがわ」も就労先だ。紙の文書をデータ化する施設で、障害者やひきこもり当事者ら10人が働く。現在は福祉作業所だが、来年には一般企業となり賃金を支払う予定だ。
区職員時代から福祉部門に力を入れてきた斉藤猛区長はこう語る。「就労とは、経済的なことはもちろん、人と人とのつながりや生きがいを得るなど、精神的なもの。誰しもさまざまな可能性があり、チャンスやきっかけは、平等にあるべきだと思う」
SDGsが照らす希望
今月の鍵は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の目標3「すべての人に健康と福祉を」と8「働きがいも経済成長も」。心のエネルギーが満ちたとき、前を向いて進める環境があることは本当に勇気づけられる。当事者と、それを支えて見守る人。皆が互いを理解し合ってこその社会だと改めて思う。もちろん、人生には休み時間も必要だが。



