ホテルの陰で交わされる重い会話
「あれは有益かな」と煙がほほえみ、「違いない。今だけはな」と金ボタンは口の端をゆがめて笑った。二人は立ち上がり、今夜の「女神の部屋」での饗宴について話し始める。金ボタンは、壁の花になっている子に甘い言葉を贈ろうと提案するが、煙は「仕事中はいけない」と苦笑いでたしなめる。
裏側の仕事に精通する「背中の総支配人」
金ボタンは「その子が俺の仕事終わりまで待っていたら問題ないだろう」と返す。煙は「君の手腕を見たいが、僕は裏にまわるよ」と応じ、台帳を閉じた。裏とは厨房や清掃を始めとした客に見えない仕事の総称で、ホテルには膨大な業務が存在する。
煙はホテルで知らないことがなく、金ボタンと同じく全ての業務に精通していた。そのため従業員たちから裏側を意味する「背中の総支配人」とも呼ばれている。オーナーに作ってもらった身分証はあるが、詳しく調べられれば偽物だとわかってしまう危険性があった。そのため煙は、なるべくJ狩りをしている軍人の前には出ないようにしていた。
街から消えたJたちの影
しかし、もう街でJを見かけることはなかった。身体が不自由そうな路上生活者も、孤児も、異民族の者もいつの間にか消えていた。旅芸人の一座も街や村に寄りつかなくなっていた。同じことを考えていたのか、煙が呟いた。「Jたちはどこに連れていかれたのだろう」
金ボタンは答える。「収容所だよ。政治犯や資産家は『Jのホテル』に監禁、他は収容所で働かされているらしい。総統の党を支持する工場主にはJが労働力として提供されるんだってさ。それで懐が潤っている奴らが増えたんだよ」
働けない人々の行方に疑問
煙は疑問を投げかける。「でも、それは働ける人の話だ。老人も妊婦も子供も街から消えたんだろう。病人だけ残されたわけじゃない。働けない人は?」
金ボタンは「収容所に置いておくんじゃ……」と言いかけるが、それはない、と思った。ホテルで働く自分たちはよくわかっている。人を滞在させるのは手間もお金もかかる。鳥の巣に頼まれて匿ったJは十数人に満たなかったが、それでも食事や寝床、体や衣服を清潔に保つための世話はなかなかに時間も奪われ骨が折れた。
軍人たちは連行したJに犬をけしかけ、列車にぎゅうぎゅうに詰め込んでいた。彼らが労働力にならない無数のJの面倒を見続ける想像はしにくかった。じゃあ、どうするのか。二人の会話は、社会の闇に深く沈んでいく。



