『歴史とは何か』に登場する歴史学者たちの知の饗宴
外交官、国際政治学者、ソ連研究家、歴史哲学者など多様な顔を持つE・H・カー。彼の名著『歴史とは何か』(岩波書店)に登場する歴史学者たちの列伝とも言える書物が、近藤和彦氏によって著された。アクトン、トレヴェリアン、ネイミア、トインビー、トーニ、バーリン、ポパー、ドイチャ……。これらの碩学たちの人間像と知的交流が、まるで「知の饗宴」のように展開される。
トインビーとネイミアの友情と和解
非ユダヤ教徒のネイミアはシオニズムの評価をめぐって対立し、親しく付き合っていたトインビーと絶交に至った。しかし、何年か経って2人はロンドンの路上で偶然出会う。トインビーはこう言ったという。「ぼくたちはベイリオル(オクスフォードの学寮)で一緒になり、それ以来の友だちだ。文章がどうした、政治がこうしたくらいで仲が裂かれるなんて、おかしいじゃないか」。ネイミアは破顔一笑し、以後2人の友情は変わることがなかった。ここにはオクスブリッジの学寮出身者たちの深い絆が感じられる。
トインビーは晩年、古代ギリシャ・ローマ史研究に回帰した。著者の近藤氏は、今は亡きネイミアと「歴史学で大切なのは、大きな輪郭と意味ある細部」という点で意気投合したベイリオル時代を思い起こしたかもしれないと推測している。このエピソードは、学問的対立を超えた人間関係の尊さを浮き彫りにする。
カーの家庭生活と学問的成果
著者の筆致がとりわけ優しいのが、『宗教と資本主義の興隆』の著者トーニに対する記述だ。しかし、トーニをはじめ、アクトン、ネイミア、トインビーも家庭生活が不幸だったという。カー自身は3度結婚し、3度とも妻から「追放」された経験を持つ。
近藤氏は想像を巡らせる。カーは自分の仕事を第一とし、妻の生きがいや生活環境に無理解であり、大人の女性の心の動きに想像が及ばなかったかもしれない。しかし、教え子による渾身の評伝が解き明かすように、カーの畢生の大著『ソヴィエト=ロシアの歴史』全14冊は「海が荒れ、嵐が続いたがゆえに完成した避難港」なのである。
夫婦の危機が相次いだにもかかわらず完成したのではなく、むしろ危機があったからこそ学問に没入できたと見るべきかもしれない。偉大なる作品の誕生には、家庭内の不幸が不可避な要素なのだろうか。読者はこの問いに対し、しばし嘆息せざるを得なくなる。
近藤和彦氏の学問的視座
近藤和彦氏は1947年松山市生まれの歴史学者で、東京大学名誉教授を務める。著書に『民のモラル』などがあり、今回の著作では、20世紀を代表する知識人たちの人間像を学問的成果とともに描き出している。本書は単なる人物評伝ではなく、歴史学の方法論や知識人社会のあり方について深い洞察を提供する。
岩波書店から発売された本書は、3080円で販売されている。読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏による書評では、華やかな歴史学者列伝として高く評価されており、歴史学に関心を持つ読者にとって必読の一冊と言えるだろう。



