サムライのいた港
もう30年ほど前のこと。新聞の片隅の記事にくぎ付けになった。17世紀初頭、仙台藩主伊達政宗の命を受け、太平洋を横断した支倉常長一行が、さらにローマ教皇に謁見することになった。立ち寄ったスペインの漁港で、数人が日本への帰国を諦め現地にとどまった。現在、その末裔たちが「ハポン(日本)」という共通の姓を名乗り、サムライの子孫であることに誇りをもって生活している、というのである。
昨年7月、意を決して現地を訪ねてみることにした。ネットで調べると常長の銅像も建っているとか。その日、最寄りのバス停で降りて辺りを見回すと、高齢の男性数人が外の丸テーブルを囲み談笑していた。とりあえず、英語で銅像への道を尋ねてみた。私が日本人であることを確認すると、やおら1人が立ち上がり、「サムライはいつも堂々としていて、帯に刀を2本差し、こんな風に抜いて戦うんだ」とジェスチャーを交えて説明してくれた。その動作には多少のユーモアも交じり、周りから喝采を受けた。その人がハポンさんかどうかは確認できなかったが、サムライが好意的に捉えられていると感じた。
その後、銅像にたどり着いた。港を背に手を合わせ、往時の苦難の行程に思いをはせた。
福田稔(69) 埼玉県毛呂山町



