豊橋市に根付く詩人・丸山薫の足跡と精神
愛知県豊橋市にゆかりのある詩人、丸山薫。市は毎年「丸山薫賞」として優れた現代詩集を表彰するなど関連事業を展開しているが、市役所を担当する記者でさえ、丸山についての知識は限られていた。取材を進めるうちに、昭和を代表する詩人として高く評価されながら、後半生を豊橋で学生らと交流しながら過ごした丸山の日々が明らかになってきた。
市民への浸透と文化事業の展開
「丸山薫の存在が、市民にどこまで浸透しているか」。丸山薫賞を担当する豊橋市文化課の中神秀和課長補佐はそう語る。同賞は1994年から続き、「郷土の偉人を知ってもらうだけでなく、詩の文化を発信し興味を持ってもらえたら」と狙いを説明する。
市はまた、丸山の作品名にちなみ、毎年「『帆・ランプ・鷗(かもめ)』賞」として小学生から高校生までの詩を募集。さらに、市内の小学3年生に丸山の功績を漫画で伝える小冊子を配布するなど、多角的な取り組みを実施している。
丸山薫の生涯と豊橋との深い関わり
丸山薫は1899年(明治32年)、大分県で誕生。1911年に高級官僚だった父が亡くなると、親類を頼って豊橋に引っ越した。八町小学校、県立第四中学校(現時習館高校)を卒業後、第三高等学校(現京都大学)などで学び、1934年(昭和9年)には堀辰雄、三好達治とともに詩誌「四季」を発刊。時代を代表する詩人としての評価を確立した。
終戦後、再び豊橋に戻り、1949年に愛知大学の客員講師に就任。1974年に75歳で亡くなるまで、豊橋で過ごした。
60校近くの校歌作詞と詩の特徴
「豊橋には脈々と丸山の精神が生き続けている」。丸山研究の第一人者である愛知大学短期大学部の安智史教授(61)はそう強調する。丸山は豊橋を中心に約60校の小中高校の校歌を作詞しており、「無意識に歌った校歌の作詞も、丸山だったりすると思う」と指摘する。
愛知大学短期大学部の学生歌(校歌)「梢(こずえ)の歌」もその一つ。安教授は、丸山の詩の特徴が良く表れていると説明する。2番まである歌詞には、校歌によくある学校名や地名がなく、小鳥や森が登場。「学生を小鳥に、学校を森に例え、不安な心に寄り添い、慰め、励ますための歌詞。詩で人を励まそうという気持ちが強かった」と解説する。
丸山の詩の特徴は、巧みな比喩を使いながら、人間でないものに感情を与え、読者に考えさせること。戦中に山形県に疎開して以降は、鳥や森といった自然を多く詠み込むようになった。弱者の立場に立った詩も多く、学生時代の退学や落第といった挫折経験が詩作につながっていると安教授は分析する。
豊橋での交流と遺産
豊橋では、愛知大学の教員として学生らのために尽くしたほか、数多くの著名な文学者とも交流。同大学卒業生や地元の文学愛好者らでつくる「丸山薫先生顕彰を考える会『薫会』」事務局の久野かおるさん(61)は「ご自宅にも多くの人を招き入れていたようだ」と語る。丸山から学んだ同大学卒業生は「薫先生は偉大な詩人だったが、先生として学生のことを思ってくださった」と回想したという。
愛知大学豊橋キャンパス内には「梢の歌」の詩碑が建立されている。安教授と久野さんは「豊橋で40年を過ごし、さまざまなものを残した。広く丸山のことを知ってほしい」と口をそろえて訴える。
丸山薫の精神は、校歌を通じて地域に根ざし、今も豊橋市の文化として息づいている。市民への理解がさらに深まることが期待される。



