スモーキングルーム第176回:蝙蝠の苦悩とホテルに迫る国家の圧力
「蝙蝠、あんたは悔しくないのか」
金ボタンは拳を握りしめ、いつも蝙蝠の顔に張りついているにやにやした追従笑いが消えていることに気づいた。話しているうちに乱れた髪も直そうとせず、肩を落とした蝙蝠は重い口を開いた。
蝙蝠の生き残りの道理
「前に言っただろう、ホテルは世界に開かれているって。誰にでも、開くんだ。心は閉ざしていてもな。そのうち、変わるさ。六百年続いた帝国だって終わったんだ」
蝙蝠は自嘲気味に言葉を続ける。「仲間を売る卑怯者と言われても、その時々の勝者につかなきゃ生き残れない。それが道理だろう」
総支配人の大きな体がゆらりと動くと、蝙蝠はびくりと身を縮めた。総支配人は蝙蝠の背にそっと触れ、静かに言った。「あなたは卑怯者ではない、こうして教えてくれたのだから」
美徳と危険の狭間
金ボタンと煙を見つめながら、総支配人は深いため息をつく。「美徳のために命を懸ける気はあったが、他人の命は別だ。君たちも危険に晒してしまったな」
それから、「一晩考えさせてくれ」と蝙蝠に告げた。蝙蝠は厨房を見まわし、終始黙ったままの煙と目が合うと「結果は教えなくていい」とそそくさと立ち去っていった。
将校の訪問と国家の要求
次の日、いつものように将校が森のホテルを訪れた。フロントで総支配人を呼び出す将校は、定期的に党の旗を掲げるよう要求し、のらりくらりと話題を変える総支配人と金ボタンにもてなされ、最後は「皇帝の部屋」に泊まるのが習いとなっていた。
しかし、この日は様子が違った。将校は怒鳴り声を上げた。「いいか、ここに宿泊してからの足取りが摑めない政治家や文化人がいる。Jが出入りしていたのを見たという報告もある。Jの財産は全て没収だ! Jを客として迎えるということは、国家の金を横領したということになるんだぞ!」
総支配人の鷹揚な応対
総支配人は相変わらず鷹揚な口調で答えた。「わたし共はお客さまの素性を疑うわけにはまいりませんので。お客さまがJではないとおっしゃいましたら、お通しするほかはないですね」
この言葉は、ホテルの不変のホスピタリティを守りつつ、国家の圧力に屈しない姿勢を示している。将校の要求と総支配人の対応の間には、緊張した空気が漂っていた。
蝙蝠の苦悩、総支配人の決断、そして将校の圧力が交錯する中、森のホテルは再び大きな転換点を迎えようとしている。誰が勝者となり、誰が生き残るのか――その行方はまだ見えない。



