閉山期の富士山(3776メートル)で、遭難事故が後を絶たない状況が続いている。麓にある静岡県富士宮市消防本部の隊員たちは、管轄エリアで遭難が発生した際、現場に救助に向かうが、氷点下の気温や滑落の危険と隣り合わせの登山を強いられるなど、まさに命懸けの対応を余儀なくされている。閉山期の登山を抑止するため、静岡県と山梨県は防災ヘリによる救助の有料化を検討しているが、多くの課題が立ちはだかり、実現は難しい状況だという。有効な手立てはないのだろうか。
消防の山岳救助隊に現場の厳しさを尋ねる
「こちら特報部」は3月中旬、富士宮市消防本部を訪れた。富士登山者が遭難した際、静岡県側の富士宮ルートなどの管轄エリアでは、消防の山岳救助隊が出動する。静岡県警の山岳遭難救助隊と協力し、捜索や救助搬送を担っている。
山岳救助隊は2交代制で、各12人の計24人が所属している。普段の消防業務も兼ねており、遭難1件につき3~5人態勢で臨む。新型コロナウイルス禍後の2023~25年の出動は年間20件前後で推移している。登山シーズンの開山期は7月上旬から9月上旬だが、閉山期の出動も2~6件あった。
今年も記者が訪れた日までに、すでに2件の出動があった。1月には中国籍の男性が下山中に負傷し、3月にはスウェーデン国籍の女性とニュージーランド国籍の男性が滑落した。いずれの出動でも、山岳救助隊は登山途中で引き返すことを決め、遭難者の救助は静岡県警に託された。
「命の危険を感じながら登っている」
山岳救助隊責任者の後藤佑弥さん(46)は、「正直、現在の多くの隊員たちが雪山に特化した訓練を積めていない。各隊員の登山技術を考え、そもそも閉山中の富士山に連れて行けるかどうかを見極めながらの状態だ」と前置きし、「地面はアイスバーンになり、森林限界を越えれば強烈な風が吹く。メンバーがどこまで対応できるのか、現場で判断してもらっている」と語る。
3月の出動で6合目と7合目の間での下山を決めた山岳救助隊長の塩川慶匡さん(41)は、「『要救助者を救いたい』という思いはある。しかし隊長として、隊員の安全が最も大事だと考えている。県警に対する申し訳なさもあったが、引き返させてもらった」と当時の活動を振り返った。
金属製の爪が付いた滑り止め用具「アイゼン」を登山靴に装着し、突き刺すように歩いても地面に刺さらないこともあり、すべての隊員が1度は滑りかけたという。塩川さんは「閉山期の出動では日常茶飯事だ。本当にスケートリンクのような状態。滑落につながる恐れがあり、命の危険を感じながら登っている」と明かす。
「春山」も命を落とすリスクは変わらない
塩川さんが滑落のほかに注意したのが、低体温症だ。当日午後8時過ぎに5合目で温度計を見るとマイナス9度だった。「登るほどに気温は下がる。着込んで活動すると汗が出るが、動きを止めれば一気に冷えて体温を奪われる。自分たちが要救助者にならないよう動き続けることを意識した」と説明する。
春になり、他の山々は登山シーズンに入っていくが、塩川さんは「富士山は別物だ」とくぎを刺す。昨年4月に救助で登った際、7合目の山小屋は屋根まで雪に埋もれていたといい、「アイスバーンも残っている。春山も冬山と同様、命を落とすリスクは変わらない」と強調した。
後藤さんも「遭難が起これば、隊員たちは命懸けで富士山を登りに行く。閉山期が登山者の安全を考えて設けられていることは心に留めてほしい」と訴える。
「救助費用が自己負担になれば」と抑止に傾く市長も
2人が危惧したように、富士山での遭難は4月も続いている。静岡県警が9日、心肺停止の日本人男性を宝永第1火口付近で発見した。ポーランド国籍の男性が滑落して救助された際に「他に滑落した人がいる」と話したのがきっかけだった。
閉山期の登山を控えるよう再三呼びかけている富士宮市の須藤秀忠市長は翌日の記者会見で、「登山を禁止するルールを作らなければならないのではないか。救助費用が自己負担になれば大きな戒めになる」と改めて持論を展開した。
富士山の閉山期は、県道である登山道が道路法により通行が禁じられているが、入山自体は違法ではない。ガイドラインは「充分な技術・経験・知識としっかりとした装備・計画を持たない者が、登山しないことを強く求める」にとどまる。
埼玉県は2018年に有料化に踏み切った
富士宮市など地元自治体の訴えも踏まえ、静岡、山梨両県は昨年5月以降、閉山期の登山抑止策として県防災ヘリによる救助の有料化を検討している。
参考にするのが、2018年に有料化に踏み切った埼玉県だ。10年夏、秩父市の山中で救助中に県防災ヘリが墜落し、乗員5人が死亡した事故を契機に「登山者の注意が喚起され、無謀な登山の減少につながる」として、条例を改正した。危険性の高い6カ所の山岳地域を指定し、飛行時間5分ごとに8000円を手数料として請求する。2026年3月までに38件の救助事案で徴収し、金額の平均は約7万2000円だった。
富士山を巡る有料化が唱えられ、間もなく1年。静岡県の担当者に経過を尋ねると「課題が多く、難しい状況だ。検討に時間を要している」と答えた。
法律で「無償が原則」と決まっている
静岡県内で救助に使われるヘリは、県防災ヘリ1機と県警ヘリ2機、静岡、浜松両市の消防ヘリ2機の計5機。点検などで運航できない場合に備え、両市と協定を結ぶ。県警ヘリは警察法、市消防ヘリは消防組織法により無償が原則となる。県警の担当者は「生命、身体を保護するための出動だ。パトカー出動や被害届の受理にお金がかからないのと同じだ」と説明する。
埼玉の場合は県警ヘリが捜索、県防災ヘリが主に救助搬送と役割分担しており、運用が異なる。静岡県の担当者は「県防災ヘリは条例改正で有料にできても、他のヘリは法改正などが必要となる。費用負担の有無で、110番に集中する恐れもある」と漏らす。
静岡県は山岳遭難の救助のあり方を巡り、国に「課題を整理し、全国統一的な指針を」と求める。だが総務省消防庁は「山の高低、山の利用状況、ヘリ救助の体制も地域で事情が異なる。国によるルール化は難しい」とのスタンスだ。
海難事故で、海上保安庁は救助費用を請求していない
登山の法律問題に詳しい溝手康史弁護士も「なぜ山岳遭難だけが有料化か」との論点を挙げ、「山岳地帯と他の場所で、救助に伴う危険性は明確に区別できない。海難事故で、海上保安庁は救助費用を請求していない。ヘリ救助の有料化には、公平性の観点から救急車を含むすべての公的な救助活動の有料化が必要となるのでは」と考える。
日本山岳・スポーツクライミング協会の広川健太郎副会長はヘリ救助の有料化について、「山岳保険に加入すれば自己負担はなくなる。抑止効果は不透明だ。自己責任論も理解はできるが、防げない遭難もある。費用負担を理由に、救助要請をためらわせることはあるべきではない」と指摘。その上で、山梨県が厳冬期(12~3月)に富士山の3000メートル以上や南アルプスで提出を義務化した登山届に着目し、「事前に無謀な登山を防ぐ機会になる。静岡は導入を検討し、山梨も時期や範囲の拡大を考えるのも一案だ」と話す。
デスクメモ
登山には危険が伴う。閉山期の富士登山はなおさらだ。救助に向かう人たちは命懸けで対応している。無謀な富士登山を抑止するため、防災ヘリによる救助の有料化が焦点の一つだが、富士登山をする外国籍の人たちも増えており、危険性をどう周知するか。さらなる工夫が必要だ。



