米軍施設の記憶をデザインで再現 横浜・旧上瀬谷通信施設の卒業制作が学内1位に
2015年に米軍から返還された横浜市の旧上瀬谷通信施設(瀬谷区、旭区)が、もし米軍が去ったままの状態で残っていたなら――。そんな仮定のもと、瀬谷区出身で金沢工業大でデザインを学んだ田代りささん(23)が、建物の再現や独自の展望台設計を卒業制作にまとめた。子どものころから「ここは何だろう」と疑問を抱いていた場所を題材にした作品は、学内で高い評価を受け、デザイン制作部門で1位に選ばれた。
広大な土地の歴史と変遷
旧上瀬谷通信施設は、市の内陸部に242ヘクタールもの広大な面積を占めていた。戦時中には日本海軍の施設も存在し、戦後は米軍に接収された。暗号通信などを行う通信隊が置かれ、フェンスで囲まれた約50ヘクタールの囲障区域には、関連建物や隊員の住居などが立ち並んでいた。区域外は農地が広がり、一部では市民の農業が認められていたが、電波障害防止地域として建築などが制限されていた。
土地の所有は国有地と民有地がそれぞれ約45%、市有地が約10%を占める。返還後は市が土地利用計画を進めており、市民の立ち入り機会は限られたままである。田代さんは返還直後、近くの中学校に通い、周囲を部活で走り回っていたが、施設内部の詳細は知らなかったという。
卒業制作への着想と調査
瀬谷区の実家を離れ、石川県の金沢工業大に進学した田代さんは、卒業制作のテーマを模索する中で、この「都市の中に残る大きな土地」に着目した。情報公開制度などを活用して過去の資料を調査すると、大部分が農地だったことや、囲障区域内には将校らの宿舎に加え、ボウリング場などの娯楽施設もあったことが判明した。田代さんは「通信施設は一部だったんだ」と新たな発見をした。
現在、国際園芸博覧会の開催まで1年を切っており、その後の土地利用に向け、米軍が使用していた建物のほとんどが解体されている。田代さんはこれらの建物を再現し、市民が眺められる展望台や座れる場所、通路などを独自に設計。20カ所の図面と4カ所の模型で構成する作品を完成させた。
独創的なアプローチと評価
卒業制作では通常、一つの建築をデザインし全体の模型を作ることが通例だが、田代さんは大きな土地の「歴史をどう残すか」に焦点を当てた。日本海軍時代の建物情報の調査には苦労したものの、試行錯誤を重ねて作品に仕上げた。「当初は建築をやりたかったが、この場所を扱いたい思いは変わらなかったので良かった」と振り返る。
作品は学内で高く評価され、デザイン制作の中で1位を獲得。田代さんは「私たちの生活に近いようなまちがあったのでは。見てみたかったな」と語り、歴史的記憶を現代に伝える意義を強調した。この春からは地元に戻り、東京都内の企業で新社会人として働き始めている。
国際園芸博覧会の開催を控え、旧上瀬谷通信施設跡地は新たな活用が進むが、田代さんの作品は、その歴史的価値を再認識させる独創的な試みとして注目を集めている。



