今春、栃木県内各地の消防に採用された新人消防職員が、30年以上続く伝統の長距離歩行訓練に臨んだ。消防士に必要な体力と団体行動における協働精神を養うことを目的としたこの訓練に、記者も同行し、新人職員が成長する様子を追跡した。
厳しい訓練の始まり
5月29日早朝、宇都宮市中里町にある県消防学校のグラウンド。70人の新人職員が緊張した面持ちで、神山喜代治校長の言葉に耳を傾けた。「この踏破訓練を通じて、必要な体力や精神力などを養ってほしい。住民の前で恥ずかしくない行動をとるように」と神山校長は訓示した。これから消防学校を出発し、同市道場宿町を折り返す約40キロメートルの道のりを歩くことになる。緊張感が漂うのも無理はない。
訓練の内容
歩き始めた新人職員たちは四つの小隊に分かれ、小隊ごとに要救護者を模した人形を担架で運んでいた。人形の重さは約40キログラム。自然と隊列は伸び、間隔も開いていく。すると、誰からともなく「ペースを上げよう」と声が上がり、小走りになる場面も見られた。
この日の最高気温は31.4度。記者はペンとノートを持つ程度の軽装だったが、肩で息をするようになった。なぜ、こんなにつらい思いをして消防士を目指すのか、新人たちに尋ねた。
消防士を目指す理由
田子森笑子さん(18)はこう語った。「市民に真剣に寄り添う消防士になりたい」。テニス部の活動中に熱中症で搬送された経験があり、その際に処置をしてくれた消防士が頼もしく感じたことが志望のきっかけだという。古市康博さん(23)は高校1年生の頃に祖父母を交通事故で亡くしたことから、「事故の際、迅速に対応する消防士を目指している」と教えてくれた。
教官の叱咤と成長
折り返し直前の休憩ポイントで、岩崎陽介教官(42)の厳しい声が飛んだ。「担架の中の人は意識があると思え!」。担架を持つ新人職員が「手が疲れた」「重い」と口にしたためだ。消防士としての自覚を問う叱責だった。
この言葉をきっかけに、新人職員らは「頑張れ」「頑張りましょう」と人形に声をかけ始めた。疲労の色がにじむものの、その後は弱音を耳にすることはなかった。植田悠希さん(25)は「搬送は確かに大変だが、つらいのは要救護者。我々が弱音を吐いてはいられない」と力強く語った。
完踏と今後の展望
午後5時。70人は一人も欠けることなく消防学校の門をくぐった。同年代の記者は到着するなり座り込んだが、新人職員たちは早朝と同様に整然とした隊列を組み、神山校長のねぎらいの言葉を聞いた。新人職員たちはこうした訓練を経て、今秋、各地の消防署に配属されるという。
消防士を取り巻く課題
少子化などの影響で、消防士の志願者は減少傾向にある。宇都宮市消防局では、2010年から12年にかけては毎年250人前後の受験者がいたが、直近の5年は200人程度にとどまっている。一般企業における新人研修に相当する消防学校では、早期退職を防ぐため、新人のサポートに力を入れている。
今回の訓練でも、女性から「男性と同じ訓練は体力的に厳しいときもある」との声が聞かれた。こうした悩みに対しては、担当教官との相談時間を設けるなどの対応を行っているという。また、長距離を共に歩く中で生まれる新人同士の連帯感が、「人材定着にも寄与する」と小島一典教頭は話した。



