東京都板橋区の高島平団地で、賃貸タワーマンションへの建て替えに伴う区道の延伸計画が、住民の強い反対を受けて延期されることになった。この道路は、もともと車道だったが、50年前の住民運動によって歩道として整備された経緯があり、その歴史が再び住民の結束を促した。
計画の背景と住民の懸念
区道の延伸は、タワマン建設予定地にある旧高島第七小学校(旧高七小)の解体工事のために計画された。区は、学校西側の区道を延伸して都道の高島通りと接続し、工事車両の出入りを円滑にしようとした。しかし、延伸予定ルートには歩道と緑地が含まれており、大型トラックが頻繁に通行することへの安全性の懸念が住民から噴出した。特に高齢者が多い地域であることから、「安全面で問題がある」との声が多数上がった。区は信号機の設置について、交差点との距離の問題で困難と説明していた。
住民の反対運動と区の対応
地元の高島平三丁目自治会は、道路接続撤回を求める陳情を区議会に提出したが、2024年10月に不採択となった。区は「西側の区道は歩行者、自転車がかなり少ない」と答弁。しかし、自治会は2025年3月から4月にかけて、建て替え対象の高島平二丁目団地自治会と連携し、反対署名3538筆を集めて区に提出した。この動きを受け、区は当初2026年度から2年間かけて行う予定だった旧高七小の解体工事に先立つ道路延伸を「解体工事の時には行わない」と延期することを余儀なくされた。
50年前の住民運動の記憶
驚くべきことに、同じ場所で半世紀前にも同様の住民運動が起きていた。1978年5月の自治会報によると、旧高七小建設時、自治会は工事車両が西側区道や南側の買い物道路を使用しないよう強く主張。工事用車両は歩道の一部を使用する計画だったが、住民の反対で実現しなかった。この歴史は、現在の住民運動の大きな支えとなっている。
歩道の誕生秘話
現在の歩道は、もともと車道だった。高島平三丁目自治会の元副会長、塩本勝治さん(89)は、住民集会で「小学校裏の高島通りと平行に緑地を挟む道路はすべて車が自由に通れ、不法駐車が多く交通事故の原因となっていた」と証言。住民の要望で1975年に仮止柵が設置され、車両進入が規制された。しかし、柵が老朽化すると再び車が進入するようになり、1983年に恒久的な鍵付き車止めが設置され、完全な歩道となった。この過程には8年の歳月を要した。
賛否両論と今後の見通し
住民全員が反対しているわけではない。西側区道は行き止まりのため、車の方向転換が難しく、「車で団地に出入りするのに不便なため延伸に賛成」という意見もある。一方で、視覚障害のある阿部美保子さん(81)は「満開の桜は遠くて見えないが、路上の花びらで楽しむ。ダンプカーが通るのは嫌。安全にしてほしい」と訴える。記者は8年半この歩道を毎日利用し、ベビーカーや通勤で安全に歩けた経験から、住民の思いに共感する。区は今後、代替案を検討するとしている。



