中日新聞が3月に掲載した連載「戦犯弁護人 祖父が残した記録」を読み、名古屋市瑞穂区の大江千鶴さん(68)は期待を抱いた。父はインドネシアで従軍した旧日本兵。戦後に現地で戦犯裁判を受けており、連載で取り上げた愛知県豊橋市出身の故・岩瀬良尾さんが弁護人だった。連載をきっかけに、旧日本兵の子と弁護人の孫の対面が実現し、当時の手紙が家族の手に渡った。
連載の内容
連載「戦犯弁護人 祖父が残した記録」は、戦犯弁護人だった故・岩瀬良尾さんが、裁判の経過や戦犯とのやりとり、自身の心境をつづった手記の内容を、孫の嘉之さんと記者がたどった。死刑判決を受け心が乱れた元憲兵に関する記述や、死刑を免れ日本に帰還した元陸軍中尉の妻への取材から、戦争に駆り出されて罪を背負った兵士の実態や悲哀を描いた。3月22~26日付の朝刊に掲載し、全5回。
対面と手紙の発見
4月中旬、大江さんは名古屋市内で良尾さんの孫の嘉之さん(78)=豊橋市=と面会した。「父の字です」。嘉之さんから示された手紙は見慣れた文字で書かれ、父が記したものだとすぐに分かった。嘉之さんも「残された資料をご家族に渡すことで、現地で大変な目に遭った人たちの供養になる」と喜んだ。
手紙は、大江さんの父、早矢仕高市さんが1948年3月にインドネシア・アンボン島で開かれた初公判後、良尾さんら弁護人に宛てて書いたとみられる。「公判廷に於(おい)ては、多々拙劣な点があった事でせうが、今更悔ひることもなく、今後公判を受ける人々のために参考になりますれば幸と信じます」(原文)。弁護への感謝が書かれていた。
父の背景
大江さんは、父が元戦犯だと周囲から聞いて知っていたが、誰が弁護したかは分かっていなかった。連載を通じてアンボン島での戦犯裁判で弁護人を務めていた良尾さんの存在を知り、「何か父と関わりがあったかもしれない」と、本紙にメールを寄せていた。
国や研究者の資料などによると、早矢仕さんは岐阜県北武芸村(現山県市)出身で、インドネシアに渡ってケイ諸島憲兵隊に所属。終戦後はアンボン島の収容所にいた。裁判では9件の虐待拷問に関わったとして死刑を求刑されたが、48年3月に終身刑の判決が言い渡された。2年後に東京の巣鴨拘置所に収容され、56年に仮釈放された。
大江さんの思い
大江さんは、父が生前にアンボン島の自然を懐かしむように話していたことを覚えている。だが2016年に97歳で亡くなるまで従軍の経験が直接語られることはなく、自分から尋ねることもなかった。「子どもの頃は父が戦争犯罪人というのがすごく嫌だった」
父が80歳ごろにしたためた戦争体験の手記には「今更どうにもならない運命と諦めながら、生への執着が心の隅を離れない」と、判決前の心境が明かされ、終身刑を言い渡された際は「夢を見ている様な気分になった」と書かれていた。
「父がなぜ戦犯として罪を背負わなければならなかったのか」。大江さんは、仕事を辞めて時間の余裕ができると、父の歩みをもっと知りたくなった。
手記から得たもの
今回、嘉之さんから受け取った良尾さんの手記の写しには、父に関する記述が複数見つかった。「××(被害者とみられる外国人の名前)の致死を認められているのが遺憾」「無期の可能性ありと考える」と、弁護に腐心する様子がつづられ、父が2件の暴行を認め、死刑を免れて終身刑になったことが分かった。暴行を認めたことは衝撃だったが、父が亡くなって時間がたち、元戦犯という嫌悪感は消え、冷静に受け止めることができた。
今、父は唯一の子どもの自分に、できる限り戦争のことを伝えようとしたのではないかと感じる。「生きていたらもっと話をしたかった。重い罪を背負いながらも、命をつないでくれたことに感謝したい」。受け取った資料と父の手記を読み比べ、父の記憶を追体験できたような気がしている。



