岡田謙三については、かねてその画業を生涯にわたって振り返る機会を得たいと考えていた。日本の近代以後の美術を明治から今日まで振り返ってみたとき、戦前のエコール・ド・パリの時代の藤田嗣治から、スーパーフラットを掲げるアートがグローバル化した時代の村上隆に至るまで、近代以降、美術を通じて世界的な成功を収めるアーティストにとって、海外での挫折とその独自な乗り越えには、どこかしらよく似た共通点がある。かつてユーゲニズム(幽玄に由来する)の名のもとに、抽象表現主義の画家が群雄割拠する戦後のアメリカで大きな成功を収めた岡田にも、同じことが言えるからだ。
岡田謙三《群像習作》1943年 秋田市立千秋美術館
実際、藤田が江戸時代の浮世絵のイメージを近代以降の日本画に置き換え、油絵の画材を使って描くことで、西洋絵画ではまったく例のない裸婦像を実現したように、あるいは村上が近代以前の「奇想の系譜」(辻惟雄)を引く絵師たちの画面を、現代日本のアニメーションの遠近感を欠く平べったいイメージに重ね、それをスーパーフラットと名付けることでアートワールドを席巻したのと同じことは、岡田のユーゲニズムにも言えることだ。
もっとも今回は、そのことを確かめるための絶好の機会となる大画面の代表作が立ち並ぶ主展示室が圧巻なのは言うまでもないこととして、個人的に大きな発見であったのは、第2章で取り上げられていた、戦前戦中期に岡田が描いた巨大な群集図が、同時期に藤田が描いた戦争画と、偶然とは思えない類似を見せていたことにある。偶然とは思えない、といま言ったが、少なくとも両者のあいだに直接的な影響関係が見られるのは、決して偶然ではない。解説にもある通り、2人の交友は、岡田がパリに滞在した3年間に留まらず、藤田が日本と決別し遠方で死を迎える最晩年にまで継続した。
だから、会場で壁面に付された解説にあるように、岡田の戦中の大作「群像習作」(1943年)が、藤田の戦争画で最高傑作とされる同年の「アッツ島玉砕」と共通する要素を備えていても不思議ではないのだが、不思議という次元を超える並行性を示しているのは、藤田に関して言えば「アッツ島玉砕」よりも、むしろ2年後の終戦の年に発表される「サイパン島同胞臣節を全うす」(45年)とのあいだの、偶然や不思議を超えた「合致」の方だろう。
画面だけではない。「アッツ島玉砕」が兵隊の絵であるのに対し、岡田の「群像習作」がそうであるように、藤田の「サイパン島同胞臣節を全うす」で描かれるのも、民衆である。しかも時系列で考えれば、岡田が藤田に影響を受けたというより、岡田が藤田に影響を与えた「必然性」さえ感じさせる。ぜひ、いつか両者を同じ空間で眺める機会を得たいものだ。(椹木野衣=美術批評家)
「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」展は、東京都目黒区目黒2の4の36、目黒区美術館で5月10日まで開催中。5月7日、月曜休館(5月4日は開館)。



