昭和天皇をはじめとする皇室の和歌指導に長年携わった歌人で、国学院大学名誉教授の岡野弘彦(おかの・ひろひこ)さんが24日、心不全のため死去した。101歳だった。三重県美杉村(現津市)出身。家族葬が行われた。
戦後短歌界をリードし文化勲章
岡野さんは国学院大学在学中に応召し、戦後に復学。民俗学者で「釈迢空」の筆名で知られる歌人・折口信夫に師事し、折口主宰の短歌結社で活動した。伝統的な言葉や韻律を重視した歌風が特徴で、1967年に発表した第1歌集が新人の登竜門とされる現代歌人協会賞に選出された。73年には神話や民俗学を取り込んだ第2歌集「滄浪歌」で、短歌界の最高賞である迢空賞を受賞した。
戦後短歌界をリードし、2021年には文化勲章を受章。主な歌に、戦時中の過酷な体験を基にした「すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり」などがある。
日本古典文学を研究し、国学院大名誉教授などを歴任。折口が亡くなるまでの7年間、書生として起居を共にして評伝を著すなどし、「最後の弟子」として知られる。1990年から2016年まで東京新聞(中日新聞東京本社)の「東京歌壇」の選者を務め、津市立美杉小学校の校歌の作詞も手がけた。
最晩年まで戦争に厳しい目
岡野さんは2022年5月、自身の集大成となる「岡野弘彦全歌集」(青磁社)で斎藤茂吉短歌文学賞を受賞した際の取材に応じ、「日本人がいる限り、短歌は残っていくだろう」と語っていた。柔和な言葉の端々に、短歌と日本への深い愛情がにじんでいた。
津市の雲出川源流域で古くから続く神社の神主の家に生まれた岡野さんは、祝詞が絶えず聞こえる日々の暮らしの中に短歌に通じる調べがあったという。歌人として国文学者として生きる転機は折口信夫との出会い。三重での神主修行中にその歌に感銘を受け、折口が教壇に立つ国学院大に進学した。晩年は師の回想録や評伝を精力的に書き残し、一字空けや句読点を入れる独特の作風も折口の影響を受けている。
太平洋戦争では戦地に赴く前に終戦を迎えたが、爆薬を抱えて敵に突撃する訓練に明け暮れ、友人も失った。「自分は生きながらえた」という罪悪感が創作の原動力になったという。歌集『バグダッド燃ゆ』(2006年)では「キリストか、アッラーか知らず。人間をほろぼす神を 我うべなはず」とイラク戦争を糾弾。ロシアのウクライナ侵攻直後にあった斎藤茂吉賞の贈呈式では、「今一番心に残るのは戦争」とスピーチし、最晩年まで世界各地の戦争に厳しい目を向け続けた。
岡野さんは「日本人の心や文化の基盤は短歌が受け持っている」と考え、五七五七七の定型リズムを千年以上の昔と現代をつなぐ核と捉えた。口語が主流になりつつある現代短歌シーンで、平易ながら古代歌謡にも通じる言葉で歌い続け、10代からの長いキャリアで詠んだ歌は8千首を超える。そんな大歌人はたどり着いた境地をしみじみと語った。「言葉というものは、本当にいいものですよ」



