国立天文台の広報の星が30年の活動に幕、220人超が集い功績を称える
宇宙の魅力を分かりやすく解説し、プロとアマチュアの天文学者をつなぐ架け橋として活躍してきた国立天文台の渡部潤一・元副台長が、この春、定年退職を迎えました。東京都内で開催された慰労会には、ノーベル物理学賞受賞者の梶田隆章氏やタレントの篠原ともえ氏をはじめ、研究者、アマチュア天文家、報道関係者など220人以上が参加し、30年以上にわたる広報活動の功績をたたえました。
多様な関係者が集い、温かいエピソードを披露
4日に都内のホテルで催された慰労会では、渡部氏とかかわりの深い人々が次々にエピソードを紹介しました。梶田隆章氏は「重力波望遠鏡KAGRAの命名委員会でお世話になりました」と挨拶し、篠原ともえ氏は「私のラジオ番組で毎年、天文ニュースを解説してくださっています」と語りました。渡部氏自身は「私の生前葬に集まって下さって誠にありがとうございました」とユーモアを交えて締めくくり、会場は笑いに包まれました。
小学6年生の体験が天文学への道を開く
渡部潤一氏は福島県会津若松市のご出身です。天文学に興味を持つきっかけとなったのは、小学6年生の1972年秋に開催された「ジャコビニ流星群」の観測会でした。実際には流れ星は一つも見えなかったものの、そのわくわくする体験が原点となり、卒業文集には「将来は天体物理学者になる」と記しています。
東京大学で天文学を学んだ後、1987年に東京天文台(現・国立天文台)の助手に就任。1994年には、国立天文台に新設された広報室の初代室長に抜擢されました。当時、ハワイに建設中の世界最大級の「すばる望遠鏡」完成を控え、広報機能の拡充が急務となっていたのです。
広報就任の決断は「天文好きの子どもたち」への思いから
研究時間が削られることを懸念し、当初は広報室長への就任要請を断った渡部氏でしたが、あるエピソードが考えを変えさせました。当時、国立天文台の正門前で制服姿の高校生たちが守衛に追い返されている光景を奥様から聞き、「天文好きの子どもたちに天文台がもっと開かれたものであるべきだ」と強く感じたのです。この思いから広報活動に携わることを決意し、それから30年以上にわたり、肩書は変わりつつも最後の日まで広報にかかわり続けました。
天文イベントの解説から国際会議での説明まで
日食や月食、流星群といった天文イベントがあれば、テレビや新聞、天文雑誌などで見どころを分かりやすく紹介。科学書籍や番組の監修も多数手がけました。特に力を入れたのは、現象そのものだけでなく、その背景にある科学的な理由まで丁寧に解説することでした。
1994年にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突した際には、詰めかけた報道関係者を畳の部屋に上げ、状況を毎晩説明。2006年に冥王星が「惑星」から除外されることになった国際天文学連合の総会では、会議メンバーとして議論に参加しつつ、チェコに集まった報道関係者に議論の経緯と決定理由を詳しく解説しました。
プロアマの垣根を超えた親しみやすい姿勢
天文雑誌『星ナビ』で300回にわたってコラム「三鷹の森」を執筆してきた渡部氏について、同誌の川口雅也編集人は「どんな人にもフラットで親しみやすく、プロとアマチュアの垣根を超えて広く後進の育成に取り組んできた」と振り返ります。一方で、研究者としては「予想を外しまくる」ことでも有名で、時に「世紀の大彗星になる」と期待された彗星がそうならなかったこともありましたが、それもまた宇宙の不思議さを伝える一環となっていました。
30年以上にわたる渡部潤一氏の広報活動は、天文学の普及と理解促進に大きく貢献し、多くの人々に星空の魅力を伝え続けてきました。その功績は、慰労会に集った220人超の参加者によって心から称えられ、天文学界に大きな足跡を残すこととなったのです。



