広島県東広島市にある風早の浦は、万葉集に詠まれた古の情景を今に伝える場所です。潮の香りを含んだ風が頬をなで、大小の島々が浮かぶ三津湾の景色が広がります。この地は古来より「風早の浦」と呼ばれ、遣新羅使の船が潮待ちや風待ちをした歴史的な港町です。
万葉のふる里を訪ねて
風早駅で呉線を降りると、目の前に三津湾が広がります。養殖用のカキいかだが浮かぶ穏やかな海は、鏡のように空を映し出します。郷土史研究家の二宮康成さん(85)は、「6世紀頃、この地に勢力を伸ばした風早氏の名に由来するとも伝わります」と語ります。瀬戸内海は畿内と九州、朝鮮半島や大陸を結ぶ航路として栄え、風早の浦には多くの船が停泊しました。
風のない日の海はしばしば霧に包まれます。二宮さんは「ずいぶん前に一度、海面全体から湧き立つような、ものすごい海霧を見たことがあります」と回想します。古代の人々はこの海霧を「嘆きの霧」と呼びました。万葉集には、遣新羅使として旅立った夫を思う妻の歌が収められています。「君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ」――この歌は、風早の浦に立つ祝詞山八幡神社の歌碑に刻まれています。
富永司宮司(69)は、「ここは万葉のふる里。1300年前も今も変わらぬ潮風が吹く場所です。この歌は私たちにとって宝物です」と話します。奈良時代、日本と新羅の関係は良好ではなく、使節団は新羅の都に入ることも許されませんでした。帰路では天然痘が流行し、命を落とした者もいたといいます。国学院大特別専任教授の上野誠さん(65)は、「どんな困難にあっても、人を思う気持ちこそが、人を生へと向かわせる」と語ります。
港町と酒蔵の魅力
三津湾に面した港町・安芸津は、杜氏の里として知られます。江戸時代には広島藩の米蔵が置かれ、酒造りが盛んになりました。榊山八幡神社には、明治時代の醸造家・三浦仙三郎の銅像が立ちます。三浦は軟水での酒造りに適した「三浦式軟水醸造法」を開発し、「吟醸酒の父」と称されます。今田酒造本店の社長・今田美穂さん(64)は、「逆境を技術で乗り越えるのが、広島杜氏の心意気です」と語り、カキに合う白ワイン感覚の日本酒など多彩なラインアップを紹介します。
海を離れ内陸へ向かうと、兵庫の灘、京都の伏見と並ぶ酒都・西条に到着します。西条駅南側の「西条酒蔵通り」には七つの酒造会社が点在し、春の恒例イベント「蔵開き」でにぎわっていました。限定酒の試飲を楽しむ人々で賑わい、賀茂鶴酒造、賀茂泉酒造、福美人酒造とはしごするのも一興です。
日本酒トリュフで新たな魅力
酒蔵通りにある古民家風のチョコレート専門店「御饌cacao」では、東広島市の10の酒蔵とコラボした「日本酒トリュフ」が人気です。おちょこに収まった小さなトリュフは、純米吟醸酒や酒かすを混ぜたガナッシュをチョコレートでコーティング。一口食べると日本酒の風味が広がります。マネジャーの三宅ゆり子さんは、「お酒が好きな方もそうでない方も楽しんでいただけると思います」と話します。
賀茂鶴酒造の蔵開きでは、杜氏によるトークショーが行われ、伝統的な木おけを使った酒造りへの挑戦が紹介されました。引退する職人から指導を受けて手作りした木おけを使うなど、伝統と革新の両方を大切にする広島杜氏のスピリットが感じられます。
アクセスと情報
東京駅から新幹線で福山駅まで約3時間30分、山陽線に乗り換え三原駅まで約35分、呉線で風早駅まで約1時間。問い合わせは東広島市観光案内所(082-430-7701)まで。



