JAL初の女性管理職・瀧田あゆちのエネルギッシュな休日 恋人のように愛したお酒と都心の隠れ家
JAL初の女性管理職・瀧田あゆちの休日 お酒と都心の隠れ家

JAL初の女性管理職・瀧田あゆちの知られざるプライベート

日本航空で初の女性管理職として活躍し、「女性管理職の先駆け」と称された瀧田あゆちさん。その生涯を追った東京新聞の連載では描ききれなかった、彼女のプライベートな横顔に迫る。大学時代から晩年まで過ごした都内での生活や、休日の過ごし方からは、仕事とプライベートを充実させたエネルギッシュな姿が浮かび上がる。

都心の隠れ家レストランを愛した食通

瀧田さんが好んで足を運んだ店の一つが、渋谷区の住宅街にあったフランス料理店「マノワール・ディノ」だ。現在は「アーモニーアグレアーブル」として営業を続けており、外観や建物には当時の面影が残されている。都心にありながら喧噪から離れた静かな時間が流れるこの店は、彼女のお気に入りの場所だった。

母親が同級生だった遠藤真理子さん(55)は「お店で食事をしながら人と話をするのが好きだったのでは。お気に入りの店に何回も行く感じだった」と振り返る。赤坂のフレンチ「カフェドニース」や老舗和食の「いらか」新宿店も頻繁に訪れており、食通としての一面が窺える。

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酒豪として知られた夜の社交

仕事に打ち込みながら、昼夜の会食を通じて幅広い人脈を築いた瀧田さん。酒豪と呼ばれるほどお酒に強く、平日夜は酒席が続いたという。四谷や新宿を主戦場に、ビアホール、焼き鳥屋、バーをはしごし、最後はなじみの店で「ようやくフィナーレを迎える」のが常だった。

広報課長時代には「週刊新潮」でその様子が紹介されるほどで、社交的な性格が仕事にも活かされていた。学生時代に取得した運転免許は「恋人代わりのお酒と別れるのはつらい」という理由で手放し、都心での生活を選択した。

千駄ケ谷での静かな週末

瀧田さんが暮らしたのは渋谷区千駄ケ谷のマンション。新宿御苑や明治神宮が近くにあり、毎週末の午後には「人通りの少ないところを選んで45分から1時間」散歩を楽しんだ。季節を感じながらの散歩は、忙しい日常の中での貴重なリフレッシュタイムだった。

趣味はマージャンにゴルフ、歌舞伎やオペラの鑑賞も欠かさなかった。時間のあるときは銀座の歌舞伎座へ、晩年は渋谷区の新国立劇場へ通い、文化的な活動にも積極的だった。

実家が育んだ世界への憧れ

働いてからは主に都心で生活した瀧田さんだが、少女時代を過ごしたのは愛知県常滑市。実家は江戸時代に廻船業を始めた名家で、「廻船問屋瀧田家」として市指定の有形文化財となっている。

日本福祉大学の曲田浩和教授は「彼女は『空』の仕事で世界とつながったが、もとは実家が『海』で広く外の世界とつながっていたことも知ってもらえれば」と語る。2階の自室から見た空に憧れ、世界とつながる仕事を志し日本航空への道を選んだ。

女性管理職の先駆けとしての軌跡

1932年に名古屋で生まれた瀧田あゆちさんは、1955年に東京大学法学部を卒業後、日本航空に入社。1969年には広報室課長に就任し、女性管理職の先駆けとしての道を歩み始めた。

国際業務室次長、国際業務部担当役員付部長などを歴任し、1990年には日航財団常務理事に就任。2005年に逝去するまで、運輸省運輸審議会委員など多方面で活躍した。

東京新聞の連載「あゆち」では、女優として日本で初めて映画に主演した母・いしらやユニークな家族、戦中戦後を過ごした少女期、日航での活躍と苦悩が詳細に描かれている。瀧田あゆちさんの生涯は、ジェンダー平等がまだ遠い時代に、女性の職業的な可能性を切り開いた先駆者の物語として、現代にも多くの示唆を与えている。

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